シャロウ・グレイブズ(「死を誘うロケ地」改題)



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題名:死を誘うロケ地
原題:Shallow Graves (1992)
作者:Jeffery Wilds Deaver wrighting as William Jefferies
訳者:飛田野裕子
発行:ハヤカワ文庫HM 1995.7.31 初版
価格:¥680

 やはり『ヘヴンズ・キッチン』の前に、こちらを先に読むべきだった。シリーズは順番に読まなくてはいけない。あとはどうであれ、少なくとも第一作は最初に読むべきだろう。ぼくも不幸だけれど、ハヤカワ文庫として最後に『シャロウ・グレイヴス』として出版されるのが本書だとしたら、多くのディーヴァー読者にしたって、当のディーヴァー本人にしたって、あまり幸せそうな顔はしないのではないだろうか。まるで翻訳小説の不幸を一身に背負ってしまったシリーズみたいで実に気の毒な話だ。

 多くの探偵小説のシリーズでも頻出する設定の一つに、主人公が余所者として、非常に排他的なローカル・タウンを訪れるというパターンがあると思う。本書はのっけから主人公がロケーション・ハンターだから、そもそも流れ者的存在であり、余所者であり、のけ者であり、『ヘヴンズ・キッチン』でも本書でも「とっとと帰れ」というようなことを言われて脅されるような存在である。こののけ者感が、もしかしたらこのシリーズの真骨頂なのかなと思えてきた。

 しかしそれにしたって、乗り込んできた町で嫌がらせを受けるのはともかく、相棒が殺されたりしたら、いきなりそれは穏やかな話とは言いがたくなる。ただ映画のロケ場所を捜しに来ただけの善良なスタッフに向けて銃弾が突如浴びせられるなんて、これ以上理不尽な話はないと思う。まるで『イージーライダー』のような理不尽さであり、どんな読者でも不条理と怒りとを同時に抱え込まされるはずである。ただし『イージーライダー』と違うのは、それで終わる物語ではなく、そこから始まる物語であるということ。

 ジョン・ぺラムはキャンピングカー、ウィニペゴの中で脚本を書いている。過去にふとしたミスで俳優を死なせてしまい、自責に駆られて監督を辞めている。そんなことは『ヘヴンズ・キッチン』には一行も書いていない。シリーズは順番に読まないといけないわけだ。

 ぺラムは映画が作れなくなっても帰らない。表面に現さぬ怒りと理不尽を内部に抱えて、密かに探る。暴力にも屈しない。

 ぺラムは映画スタッフをクビになる。映画の仕事がなくなっても彼は脚本を書き続ける。映画を作ることは彼の中では終わっていない。

 ぺラムは少年に銃撃を教える。まるで『初秋』のように。傷ついた少年の心を癒す。

 ぺラムは恋をするが抑圧もする。ぺラムは西海岸に待たせている恋人に電話ができない。

 多くの人間的要素をかくも豊穣に持つほどにじっくりと描きこまれた主人公像。カウボーイの精神と外観を持ち、『シェーン』を思わせる子供とヒーローの関係性を持ち、恋人との距離が切ない。そう、徹底して切ない感傷的な存在であり、ラストシーンはやはり一仕事を終えた流れ者のガンマンのように町を去ってゆく。

 ストーリーにひねりが足りないかもしれない。人物描写や会話がいちいち冗長と思われるかもしれない。確かに次々に展開するアクション・シーンにも事欠ける。しかし、一方でこんな素敵な、掛け値なしのハードボイルドを書ける作家だったなんて、ディーヴァー読者のいったい何割の人が知っているだろうか?

(2002/12/29)