グリフターズ



題名:グリフターズ
原題:The Grifters (1963)
作者:ジム・トンプスン Jim Tompson
訳者:黒丸 尚
発行:扶桑社ミステリー 1991.09.27 初版
価格:\480

 トンプスンの小説の基本的な構図は、まず女ありきではなかろうか。男はたいていの場合トチ狂っているが、その内燃機関を燃え上がらせているのは、たいてい女である。美醜に関わらず、男たちは女という燃料を突っ込まれて暴走を始める。あるいは踊り狂い、落とし穴に向かって死の手に招かれる。たいていはトンプスンの場合、そんな具合だ。

 ただし、女はあまり前面に出て来はしない。たいていが引っ込んだままだ。それでいて強烈な印象を残すのが、トンプスンの構図なのだ。作品の重力が向いてゆく方向には、必ずといって言いほど女がいて、彼女次第で作品は無重力状態になることだってある。その場合多くはストーリーが散逸する。思いがけない逸脱を見せることがあり、それは傍からはただの狂気にしか見えない。トンプスンの場合、たいていはそんな具合なのだ。

 この作品においてはトンプスンは実に知性レベルを高く保っている。散逸も逸脱もなく、まるで他のきちんとした作家が書いたみたいにプロットが整然と進んでゆく。この本だけを読んでトンプスンを語ろうという輩がいたら、ぼくなら真っ先に逃げ出したくなるだろう。それほど、トンプスン・ワールドからは遠い所を走る、まるで無責任な暴走機関車のような作品に見える。ある意味、相当に抑制の効いた、正直に言えばつまらないプロットだ。

 詐欺。それが主題であるにしても、コンゲーム小説とまで偉そうに言うことができない。さほどのトリックが込められている小説でもない。詐欺師という言葉が連想させるほどの着想だってない。あるのは、母と息子のわずか14歳という年の差。母のあまりの若さと美貌。息子の愛人の放つフェロモンの豊かさ。それくらいのものだ。

 よくぞこんなものが映画化されたものだと思う。プロデューサーがマーティン・スコセッシだと。なるほど、それなら何となくわからないでもないや。ぼくはこの映画を観たことがない。こんな作品を映画化しただなんて。そういう興味だけでも見る価値があるのかもしれない。

 最後の最後まで予定調和のように崩れを見せない、収まりのいい物語。悪女モノとしてはぴか一なのかもしれない。トンプスンにしては異常だ。だが狂気の程合いのなさについてはいつもながらだ。逸脱。過激。それらもいつもながらだ。ただ、全体の調和。よほどトンプスンが安定した気持ちで書いた小説であるのに違いない。『ゲッタウェイ』でも『サヴェッジナイト』でもない。おっと、逸脱の極みにある作品を挙げても仕方がないか。トンプスンと言えども、平均レベルとしては、さほどの断裂を見せているわけではないのだ。だが本書だけを読んで、トンプスンと思われるのは、正直癪である。まあ、そんなところの作品なのだ、本書は。

(2004.04.04)