アフター・ダーク



題名:アフター・ダーク
原題:After Dark (1955)
作者:Jim Thompson
訳者:三川基好
発行:扶桑社 2001.10.30 初版
価格:¥1,429

 ジム・トンプスンはパルプ・フィクションというよう安手の三流犯罪小説の作家でありながら、その実、天才的な暗黒小説の作家としてアメリカの正統派ハードボイルドよりとしてではなくノワール生誕の国フランスで評価された作家だと言う。パルプ・ノワールという言葉が現在では適切かもしれない。

 『死ぬほどいい女』や『残酷な夜』のラスト・シーンは通常の小説としてみれば、断裂があり破綻があり、あまりにも前衛的であり、読者をある意味で無視しきっているように見える。

 実はトンプスンはその破綻・前衛によって、実のところB級パルプ・フィクションという位置ににとどまらず、現在のノワール研究の格好の材料として取り上げられることが多いのだが、本書は彼の一連の作品の中でも最も大人しく自己完結しており、安定した足場に着地している作品であるとも言われる。一方では、まあそう見えるだけであって、実際には一人称小説の罠であり、あくまで脳内心理小説だという評論家も当然いる。

 トンプスンの作品は一人称か、極めて一人称に近い三人称で語られるゆえに、その独白自体に込められた嘘、装飾なしには、語れない。そのまま二次元的に読んでいたら絶対に手の届かない奥行きを持った作家なのだと思う。常に語り手を疑い、主人公の行動に懐疑的に接していないと、最後には足元を掬われる。本書はそういう意味でもあまり途方に暮れることのない結末が用意されているし、バイオレンスや破滅の度合は最低限であるように見える。

 自己否定の極致のような語り手が目的を遂げるまでの小説であるようにも読めるが、一方で超のつくほどのエゴイストが、現世の規律の下では生き続けることができずに二つ折り三つ折りくらいに折り畳まれた自我を持て余しているようにも見える。

 運命の女(ファンム・ファタール)と言われる女が、トンプスンの作品には必ずといっていいほど登場する。さまざまな毒の要素を持った彼女らの中でもとりわけ破滅的なヒロインが本書のフェイだろう。女はトンプスン作品の場合主人公を脅かす、あるいは裏切る存在であることが多いのだが、本書のフェイは会話と中身とがズレている。彼女の奔放な表現が生き方の枷となり、ウイスキーが人生を食い荒らしている。

 男女の内部的な二つの破滅が絡まり合って、幼児誘拐事件という隘路に突入し、あとは奔流に流されてゆく。神経に触れそうなくらい敏感な小説である、と思う。それでも確かにトンプスンの作品群の中では極めて落ち着きのある作品であることに変わりはない。

(2003.01.01)