ビー・クール



題名:ビー・クール
原題:Be Cool (1999)
作者:エルモア・レナード Elmore Leonard
訳者:高見 浩
発行:小学館文庫 2005.9.1 初版
価格:\838

 思えば原作の方の『ゲット・ショーティ』は、映画化作品ほどにはコメディタッチでもなかったような気がする。確かにラスベガスやハリウッドといったネアカ文化の土地柄には、暗く沈み切った物語よりは、キックの利いたスピーディで洒落れたストーリーが似合うものだが、そこそこ冷酷な悪党たちの存在感が物語に暗い影を当てる部分もあって、そうした暗黒外からのちょっかいが作品をもっと張り詰めさせているのは確かだった。

 よりタフな野郎はいったい誰なんだ? っていうテーマが、まさにレナードらしいのだ。骨太な勝ち残り競争を軸として、レナードの小説は進んで行かねばならない。生き残るための凄惨なバトルがあり、血が流れ、金が泥にまみれる中で、映画作りという一つの作業が作中作のように、織りなされてゆくことで、このシリーズは重奏の娯しみに満ち溢れていなければならない。

 ところが映画版『ゲット・ショーティ』が、せっかくのレナード風味を、喜劇的な軽クライムに変えた。『ゲット・ショーティ』の巻末で訳者が憤りを表現したのもわからないではない。

 タランティーノであれば、野獣たちの死闘が繰り広げられる都会というジャングルの酷さや、皮肉に満ちた悪党たちの破滅の形を、もっとずっと原作に近いタッチで再現してみせるに違いない。少なくとも、『ラム・パンチ』を原作にした『ジャッキー・ブラウン』は、まさにレナードそのものだった。映画は、そのまま原作の別メディアにおける再体験ですらあった(もちろんヒロインの肌の色を除けば、の話だけれど……)。

 思うにダニー・デビート、ベット・ミドラーといった喜劇役者たちの起用が、映画化の際、針の振れる方向を決定付けてしまったのだろう。

 さて、にも関わらず続編の『ビー・クール』は、前作以上に、映画のコメディタッチのサイドを意識的に継承しているように見える。スター、マイケルはダニー・デビートで印象付けられてしまい、レナードは初期設定をそうした大衆に刷り込まれたデータに塗り替えてから、この続編に取りかかったのに違いない。

 チリ・パーマーの次なる映画作りは、今回やはり小説の軸になっており、彼が映画の原案を考え出すだけで、街中に死体の山ができあがってゆくという構造には、続編ならではの覚悟が見える。より娯楽的で、よりサービスに富んだ作品に仕上がっていると思う。

 今回はチリが映画原案を音楽業界に展開する形となっており、この主役になるのが、スターを夢見るシンガー、リンダ・ムーン。映画では音楽業界関連の配役が豪華で(劇中出演するエアロスミスのステージなども実際に登場するのだとか……)、顔ぶれが相当に話題になっている。クレジットを見るとキッスのジーン・シモンズなども登場?(『ナイトホークス』に悪玉として出演した人でもあったっけ)。

 チリの今回の恋人役は、原作では、前回の登場を引き継ぐプロッデューサー、エレインであるのに対し、映画ではイーディ(映画での表記はエディ)となっている。ヒロインを一人にまとめてしまいユマ・サーマンという女優に密度を集中させるという加工を映画では行っているわけである。『ゲット・ショーティ』も映画化では悪役のメインやアクションの順序を入れ替えるなど、大きな加工がなされており、こういうこともタランティーノ作品とは大きく違っている部分なのだ。

 小説の半ばでは、いきなりと思えるような銃撃シーンがあり、そこでは悪党ラッパーたちとロシアン・マフィアの抗争がドタバタタッチで展開され、少々やりすぎの嫌いはあるが、きっと映画化まで意識したサービス精神なのだろう。レナード75歳にしてこのド派手なアクションとは、なんともお若い……。

 映画『ビー・クール』のメガホンを取ったのは、『ミニミニ大作戦』の監督だと聞くし(ぼくはこの映画大変気に入っている、オリジナルもリメイクもどちらも!)、トラボルタ、サーマンの『パルプ・フィクション』以来の共演は、音楽界からの(ちなみに格闘技界からも)豪華ゲスト登場と併せて、今回は一作目よりもずっと力の入ったアピールとなっている。映画は公開中だから、評価も既にオフィシャル・サイトなどで高めに出ている。

 さて小説の方はって? そう。おそらく映画を超える仕掛けが随所に見られ、きっと相当に楽しめる。チリの頭の中で映画シナリオが組み立てられてゆく様子や、続編は前作に頼っちゃけないんだなんていうチリの辛味の効いたセリフ、ラストに登場する思わぬラッパーたち、およびその歌詞の醍醐味などなど、活字でじっくり楽しむべき文化は小説の側に、確実に存在するのである。

(2005/10/02)