獣(けだもの)どもの街



題名:獣(けだもの)どもの街
原題:HurrywoodFuck Pad, Hot-Prowl Rape-O, Jungletown Jihad (2004)
作者:ジェイムズ・エルロイ James Ellroy
訳者:田村義進
発行:文春文庫 2006.10.10 初版
価格:\781

 あのエルロイが、すっかり鳴りを潜めていた。ヴァクスは相変わらず鳴りを潜めている。死人であるトンプスンの方がまだしも、現代という名の汚れきった空気を肺に充満させて満足しているかに見える。いずれ、読者の錯覚に過ぎないのが重々わかっているのだが……。

 そのエルロイ、まさに5年ぶりの復活! と祝いたいほどに、ともかく懐かしい。リック&ドナのシリーズ。本書はその中篇が三つ収録された連作小説集なのだが、込み入ったいきさつがあるらしいことは、巻末の訳者解説に詳しい。

 フィクションとノンフィクションが混在した作品集『クライム・ウェイブ』。その続編のような形での原作本が構想されたらしい。中短編をあちこちに切り貼りして本を何冊か作る、というような構想も本国ではあるみたいだ。そういう本国の契約云々はともかく、手っ取り早く、本にしちまったのが、商魂たくましい文芸春秋の腕と力だったようだ。

 上のごちゃごちゃの中にあるノンフィクション作品集に関しては、新たに分冊として文春より翻訳刊行されるらしいので、それはそれで次なる楽しみとしておきたい。

 さて、この作品集の中身だが、まさにエルロイへの再会であった。ノスタルジイをくすぐられる第一作『ハリウッドのファック小屋』。これは『ホワイト・ジャズ』の破壊されつくした文体そのままに、花村萬月だったら激怒しそうな体言止め連発で、暴走する警察官を描写したサバイバル活劇である。いわゆる馳星周が心酔し模倣しデビューに至ったあの文体ですな(模倣は、肉声の上に乗るしかあるまい、といったのは小林秀夫だったか。いずれにせよ馳星周は肉声に見事に乗せたのだ)。

 時代背景は、この作品だけが1950年代。続く二作品は2004年以降のものだ。作品の興趣ということでは、三作目などはエルロイ版9・11の世界なのだが、警察官であるリックにとって大きなエポックとなっているのは、むしろロドニー・キングだ。あの事件を境に、警察官が暴力を我が物顔に振るえた時代か、そうでなくなった時代なのかに分類されているのが、エルロイ的時代分析である。

 一作目は、その前時代的な要素が強い。警察官にとってはまさに個人テロの王国みたいなハリウッド。警察官同士の騙し合い・暴走は当たり前、犯罪者は上層部とパイプを繋げ、まだ余裕をかましていたギャングたちも好き放題に夜を泳いでいた。

 このシリーズはそういう時代に知り合ったリックとドナの究極の愛の物語でもある。結婚に背を向け、女優業を選択してゆくドナ・ドナヒューは、リックにとってのファム・ファタールであり、暴力の執行者である。躊躇いのないガンマンである。ゆえに、その存在感は本書一冊を通してずっと強烈だ。

 ドナの後始末については、もちろん警察官であるリックが闇に葬る。そうして女と男は、別れてゆき、以降は違った世界でお互い結婚もせずに異なる人生を生きてゆく。たまたま人生において三度だけ巻き起こった事件が、本書に納められた三つの作品というわけだ。

 二作目の『押し込み強姦魔』は、いきなり2004年に飛ぶ。文体はあの破壊文体ではないが、頭韻を踏んでいる凝ったテンポは変えぬまま。翻訳の苦労がしのばれる。ここでもまた、リックとドナの再会。二作目の以前の歴史として、既にO・J・シンプソン無罪裁判があり、ロドニー・キング事件があり、ロス暴動があったわけだ。一方で主人公らは《ハッシュ・ハッシュ》の書き手であったダニー・ゲッチェルの葬儀に立ち会う。エルロイ世界では、さまざまな作品で時代のご意見番を勤めていたダニーの後釜は、本作で登場する。まさにエルロイが自分の無沙汰を釈明するために、読者らに特大のサービスでも用意したかのようなエピソードでもある。

 ラストは『ジャングルタウンのジハード』。時代は2005年へ。ようやく9・11の影響後、現在に繋がるアメリカの登場だ。そしてリックとドナがイスラムのテロと何と対決するという世紀の憂き目に合う。こうして語ればただただ滅茶苦茶なストーリーみたいに思えてくるのだが、暴走する狂気じみたエネルギーは、エルロイというフィルターを通すと、解放された途端に自由と奔放性をしっかり取り戻すみたいだ。

 スケールの大きいのが、そもそもエルロイの世界である。事実、やけに簡単にJFK事件に参加し、あっさりと9・11後のテロリストたちに始末をつける。しかし、そこに描かれるのは背景であって政治ではない。人間の愚かな欲望と狂気への信奉、それらがもたらす悲劇こそが、エルロイの合わせてゆく照準。論理ではなく直観の美学だ。躊躇いのない銃撃とは、実はその象徴的行為でもある。

 ドナという美しい女性、イコール神格化された死刑執行人、同時にイコール演技下手でグラマーなだけの単純極まりないピンナップ女優。軽くも重くも見えるその皮肉で魅力的な存在が、リックというノー・タブー警察官の人生を決定づけ調教してゆく。

 純愛の物語でもあると同時に、実は、よるべなき孤独の物語でもある。西海岸という名のあっけらかんと明るい一方、徹底したどす黒い闇を抱えた風土。そんな砂漠に生きる者たちの短い人生を、笑い飛ばす現金な喜劇でもある。

 そう、だからこそ、これぞエルロイ、なのだ。

(2006/11/12)
最終更新:2007年04月09日 00:34