ガリレオの小部屋



題名:ガリレオの小部屋
作者:香納諒一
発行:実業之日本社 2007.01.15 初版
価格:\1,600

 香納諒一の短編小説集は、鉄板である。信頼できるのだ。だからいつも大雪に味わうようにしている。ぼくにとって短編の鬼と呼べる現存作家は、横山秀夫、藤原伊織、篠田節子、そしてこの香納諒一である。それにも関わらず、この人の短編集を開くのは、『タンポポの雪が降ってた』を2001年に読んで以来のこと。『タンポポ……』と『アウトロー』に関しては、読んでいるはずなのに感想を書いていないので、どんな作品集だったかを、今、記憶の底にまさぐることができない。

 本書を読んで改めて確認できたことは、やはり香納諒一の短編集は格段の味わいがあるという事実だった。多様性、アイディアそういったものの他に、読後感の確かさというものが必ずあるのだ。短編集はどちらかと言えばインスタントに読み終わってしまう部類のものだ。雑誌に掲載され、お手軽に読み流され、あるいは通勤後には読み捨てられる部類の商品だ。かつてのジュンブンガクであればいざ知らず、現代日本ではそういった作品の氾濫を止めることができない。

 だから自然と必要とされるのがアンソロジストの存在だったりする。沢山の作品を読み分けて、オススメである作品だけを纏めてくれる編集人の存在だ。海外アンソロジストはオットー・ペンズラーであったり、あるいは有名作家が副業でやっていたりする。例えばローレンス・ブロックなどがその部類だ。

 日本ではぼくは先ほど羅列したように、作家のうちから短編の名手をチョイスする。主に図書館で借り出してお手軽に読んでは返すようにしているのが短編集なのだが、名手の本はきちんと購入し書棚にきちんと並べておきたくなる。

 香納諒一の短編集はいずれもそういったところに分類される上質の作品集である。とりわけ本書は、時間をかけて丁寧に作られたものらしい。作者があとがきで書いているのは、自分の執筆作業を一から洗い直して、じっくりと執筆作業の棚卸をやってみたいという内容である。もちろん棚卸などという言葉は使っていないのだけれど。いわばそういった作者が一時的にペンを折った季節を通じて、そこから立ち直り、再起すべく、意図と誠意のこもった作品を集めたものが本書であるらしいのだ。

 もう一つ、驚いたのは、この作者は、最初から短編集として一冊の本になったところをイメージして一作ずつの短編を書いてゆくというところである。そう言われてみれば、歴代の彼の短編集は、本の装丁といい、タイトルといい、傾向といい、丁寧さが感じられるものが多い。なるほど作者がペンを執る段階から、本の製造作業がスタートしていたのだ。

 本書の短編内容については細かくは言わない。一作一作の傾向はどれも異なるが、言えることは、どれもが面白いということ。そしてどれもがリリシズムに溢れる叙情の世界に属し、そして過酷であったり、美しくあったり、歪んでいたりする人間の最も人間らしい部分(弱さと言い換えてもいいかもしれない)にスポットを当てたものだ。

 ぼくの作品に対する面白さの基準は、人間への興味だ。夏目漱石作品の登場人物たちが『三四郎』かなにかの作中で、頻りに「ヒューマン・インタレスト」という言葉を交わしていたのを思い出す。「人間的興味」とも言い換えていた。

人間的興味の向く先で最も面白いのは、やはり人間そのものに対する時だ、とぼくは思ってやまないのだ。

(2007/04/01)