邂逅の森



題名:邂逅の森
作者:熊谷達也
発行:文藝春秋 2004.1.30 初版
価格:\2,000

 熊谷達也はミステリー畑でデビューした作家なのだが、羆害を主題にした『ウエンカムイの爪』、日本狼の存在に絡めた『漂白の牙』など、初期ミステリー作品にも既に野生と文明の接点へのこだわりを根強く持っている人である。その後『まほろばの疾風』で東北縄文文化の朝廷との争いを主題にした歴史小説、『迎え火の山』で東北の祭祀を使ったホラーと、ジャンルの壁を自ら取り払い始め、一つ一つに作品作りの丁寧さと、足場の確かさを思わせる骨太の作家であることを証明していった。

 前作『相克の森』は現在にまで連綿と続くマタギという職業と山との関係、そして現代直面しているエコロジーブームの功罪などをテーマにして、文明史観にまで抵触する大きな問題として真っ向から捕らえた、ある意味この作者ならではの闘志や迷いを感じさせた。女性主人公がマタギ文化と接触してゆく様子が生き生きと描かれていた。

 本書は大正時代の秋田阿仁マタギの時代、森から獣がいなくなりつつある時代、日露戦争後毛皮収穫が国策となってゆく軍国主義の足音といった暗い世相を背景に、長く続いてきたマタギの文化が汚れようとし始めた最初のエポックを描き出した力作である。貧しく暗い時代の変遷の中で悶々とする若きマタギの矛盾と葛藤に満ちた波乱の生涯を描いた一篇。

 スーパーマンでもなんでもない普通のマタギとして描かれた主人公は、多くの失敗を繰り返し、多くの災難を乗り越え、迷い、惑い、逸脱しては、最後に熊を撃つという一点に戻ってゆく。戻らざるを得ないマタギの血の純潔さと、山の神への衰えることのない信仰。そうしたすべてが残酷なまでの運命の渦の中を耐え進み、まるで物語を一息に破綻させるかのような激しい結末へ突入する。

 全体としてバランスが取れた小説ではなく、めりはりが激しく、不安定な流れである。しかしそれこそがこの作品の魅力であり、主人公の不安定さを投影したものである。周辺人物に魅力ある男女を配し、時間経過を無造作に扱いつつ、印象深いラストシーンへと雪崩れ込んでゆく。作家の骨太さが否応なしに突き刺さってくるストレート一閃、といった作品である。

(2004.05.16)
最終更新:2007年04月01日 23:31