明日なき二人



題名:明日なき二人
原題:Bordersnakes (1996)
作者:James Crumley
訳者:小鷹信光
発行:早川書房 1998.8.31 初版
価格:\2,200

 クラムリィがとことん好きである。文章の一行一行をこよなく愛読してしまう。昔、ハードボイルドというものに初めて触れたときのこの贅沢感。忘れていた読書時間。クラムリィはいつもこいつをぼくに思い出させてくれる。

 ミロとシュグルー。物語の向こうではいつもこの二人は互いの存在を意識し合っているくせに、読者の前にはついぞその姿を見せることがなかった。前作『友よ闘いの果てに』で一瞬のすれ違いを見せはしたものの、それぞれに違うストーリーを生きていることには代わりはなかった。『さらば甘き口づけ』ではまだ誤訳のスルーのままだったシュグルー。誤訳でも、作品があまりに長くぼくの中で生き残っていたために、未だに"スルー"の方がしっくりくる。でも今はシュグルー。

 ミロとシュグルーがこんなにでこぼこコンビだったなんてぼくは知らなかった。どちらも酔っぱらい。境遇が違うのはわかっていたけれど、どちらもただのクレイジィなオヤジたちに見えていた。どちらも好きでたまらなかった。だけどこうして共同作業に取り組んでみると二人の性格の違いはまざまざ。そして未だにどちらも好きでたまらない。

 ぼくのハードボイルドの原点は、これまで何度か文字にしている通り『ワイルド・バンチ』である。ペキンパ作品をこよなく愛し、西部劇の黄昏に酒を酌みたくなる一瞬が好きでたまらない。翻訳者の小鷹信光さんも書いている通り、この作品はペキンパへのオマージュかもしれない。それほど、心にあるペキンパの叙情的な映像とクラムリィの男むささのようなものがシンクロする。

 理屈はなし。ただただぼくはエルパソやニューメキシコが好きなのだ。ペキンパの愛弟子ウォルター・ヒルが『ダブル・ボーダー』で自己流『ワイルド・バンチ』を作ったように、クラムリィはこの『明日なき二人』を書いたのに違いない。ウォルターのカメラの腕は少しばかりなまっていたけど、クラムリィの筆の冴えはむしろ水を得た魚のように、自由きわまりなく、幸福そうだ。

 無茶だとさえ思える主人公たちの行動。プロットが内包するデカダンス。意味もないかに思われる奇想なエピソード。そうした批評の細かい消し炭など、荒野の荒々しい風で一掃してしまうかのごとき、男たちの意地が、パワーが溢れかえっている。こんな作品はきっとこの先誰にも書けないに違いない。

(1998.09.22)
最終更新:2007年03月27日 23:51