さらば甘き口づけ



題名:さらば甘き口づけ
原題:THE LAST GOOD KISS ,(1978)
作者:JAMES CRUMLEY
訳者:小泉喜美子
発行:新潮文庫 1988.6.15 初刷 1991.9.30 2刷
価格:\640(本体\621)

 この作品はどう言ったらいいのだろう。ミロと同じモンタナ州の架空の町の私立探偵スルーの生きざまがすべてなのだ。事件はもちろん起こる。しかし、どちらかといえば事件に無縁の寄り道の方に重心が置かれたような作品である。ロード・ムービーならぬ、寄り道型ロード・ノベルとでも言おうか。とにかくいろいろな意味で新鮮な一冊であった。

 初っ端から登場するビール好きなブルドッグ、ファイアボール・ロバーツがいい。ずっと事件の後をくっついてきて酒を飲んではひっくり返り、好きな人と一緒にいたがるばかりに大怪我をしてしまう犬の姿は、そのまま主人公スルーの姿にも重なってゆく。さらに大酒飲みであったらしい昔の相棒の思い出をスルーが語るとき、それはミロドラゴビッチのことだ、などと想像をたくましくしながら、アメリカ北西部のこの一帯を主人公とともに彷徨う読書の至福は言いようがないものだ。

 たまらなく苦い人生と罪の重み。逃げ出したくなるほどに深く重たい愛情のしがらみ。若く美しき女の転落と再生。毎日がロシアン・ルーレット並みのデカダンスを張りつめさせながら、スルーの回りをゆっくりと歩み去る。長く苦しい寄り道がいつまでも果てしなく続くこの小説は、これまでのハードボイルドの常識をやっぱり覆しているのだと思う。

 時に人は、どんなにか忘れがたい作品というものに出会うものだが、この本はぼくの中でのそういう存在になってしまった。ぼくは『鷲は舞い降りた』のような冒険小説は大変好きなんだが、こういう本に出会うと、同じ好きであるという意味の温度の違いを極度に感じさせられる。自分が本来読みたかった本というものがどういうものなのか再認識させられると同時に、重奏される現実の個人的な重みにとても疲れてしまう。クラムリーとは、どうやらそういう作家であるらしい。作品は決して重く疲れたものではなく、むしろ美しい風景群と味わい深い会話、魅力的な人物たちとで成り立っているのにも関わらず。酒を飲んで吹き出す疲れと同じ類いの、これはぼくの側の疲れなのかもしれない。

 クラムリーのハードボイルドが、これを書いている今、現時点では、まだたったの3作しかないことがただただ残念である。

(1992.05.30)
最終更新:2007年03月27日 23:40