ダンシング・ベア



題名:ダンシング・ベア
原題:DANCING BEAR ,(1983)
作者:JAMES CRUMLEY
訳者:大久保寛
発行:早川書房 1996.3.31 4刷
価格:\1,236(本体\1,200)

 『酔いどれの誇り』の私立探偵ミロの後日談。8年の開きのある作品だけに前作とは全然状況が違っている。ミロは警備員の勤めをしながら、何と山の中の丸太小屋で生活をしている。モンタナ州は秋から冬にかけての厳寒の季節。ハードボイルドは都市の中にだけあるなんて言ったのはどこの誰だろう。

 まず驚いたのがこれが本当にミロのシリーズなのか? ということ。あまりに前作とは異なる匂いにまず驚かされる。ちょうどヴァクスのバーク・シリーズでの『ブルーベル』から『ハード・キャンディ』への変貌に対比されるような種類の大異変が、この作品には起こっている。これまでのクラム
リーの長編はすべて純文学の分野に収められていたらしいのだが、本作はまずそういう類いの作品では決してないだろう。あまり寄り道のないミステリーであり、ハード・アクション小説である。まことに派手な、全編、銃撃だらけの展開となっている。

 簡単に言ってしまえば『酔いどれの誇り』『さらば甘き口づけ』に較べると、ずっとストーリー重視の展開だから、ページ繰る手が止まらないという意外なエンターテインメント小説なのだ。これをして、クラムリーが堕した、と取るべきか、クラムリーはエンターテインメントとして優秀だ、と取るべきなのか、ぼくには判断がつかない。いずれにしたってどちらもクラムリーの真正な一面なのだ。この種の他面性をだらしなく持ちづづけること自体が、クラムリー文学の身の持ち崩し方と言えるのかもしれない。

 どちらにしたって上質の小説であることは間違いない。読者がどちらを好みに感じるかはわからない。かといって他の二作と決然と分かれてしまうと言ってしまえるほどの距離があるわけでもない。ミロの口汚なさはそのままだし、女たちのしたたかさも然り。

 ミロはアル中であるのをやめた代わりにコカインに身を委ねており、遺産が転がり込むまでの待ち時間がそれほどたんまり残されているとは言えない年齢になっている。ミロの、遺産へのニヒルな待ち時間こそが、彼の望む望まざるにかかわらずこの種のデカダンスな小説を破天荒な方向へと紡いでゆくのだが、相棒のヴェトナム帰還兵とのコンビネーションは、本作ではなかなかの味を出している。

 男の心情、真の意味での優しさ、それに反比例する弱さなどを描かせて、やはり素晴らしい作品である。極上であることには違いないのです、やはり。

(1992.05.30)
最終更新:2007年03月27日 23:28