酔いどれの誇り



題名:酔いどれの誇り
原題:THE WRONG CASE ,(1975)
作者:JAMES CRUMLEY
訳者:小鷹信光
発行:新潮文庫 1992.4.30 初刷
価格:\660(本体\641)

 帯に<極上のハードボイルド>とあり、ほんとかよ、と疑いながら読んでみたが正真正銘<極上のハードボイルド>だった。クラムリーを読まずしてハードボイルドを語る資格はない。

 さて<ハードボイルドとは何ぞや>なんてさんざん語り合ったとこころで、読書遍歴はそれぞれ様々だし、なかなか文学史の教授なども友達にいないせいか、まとまりはつかない。いつだって結論は出ず、ハードボイルドとは、それぞれの勝手な思い込みだ、とまで開き直りたくもなってくる。

 だから言うのだが改めてハードボイルドというのは文体やスタイルではないのだ。ハードボイルドの条件というのは、物語の中で喘ぐ男たちの生きざまそのものなのだ。

 この作品の主人公はミロ。52歳で手に入るはずの遺産を待って、連日酔いどれている私立探偵だ。立派なことはうまく口にすることができない。自慢できることもあまりない。口は桁外れに悪く、礼儀知らずで、おまけに酒臭い。

 舞台は、モンタナ州の架空の町。気候は初夏。こんな状況設定で、人生の様々な形での敗者たちが、アルコール、グラス、あるいはドラッグを摂取し、様々な辺境で酔いどれ、ハイになって、いかれた日々を送っている。だれもが舞台の安全な中心から逸れてゆき、気づいたときには、ぎりぎりの辺境に追いやられ、いつかはどういう形かで、決着をつけねばならなくなる。探偵ミロにも、とうとうそんなときが来たというわけだ。

 ある朝、ぼくは本郷にあるオフィスに出社する直前のひとときを<ドトール>で過ごしている。コーヒーを飲みながら、この本を読んでいる。ふと見ると、向かいの若き近眼のサラリーマンの開いているハード・カバーの表紙が眼に入ってくる。そこに書いてあるタイトル文字は『悟りの現象学』である。

 思わずぼくは唸ってしまう。ちょうど自分が読んでいる『酔いどれの誇り』が、まるで世界の堕落を掻き集めたような<悟りの現象学>のアンチテーゼそのものだったからだ。

 しかしこんな不良な読み物でも、最後に巻を閉じる頃には、案外この本が<悟りの現象学>のごくごく近いあたりをうろうろしているような気さえしてくる。とても不思議な小説だ。

 とにかくも<極上のハードボイルド>。真の意味で。ミロのすべてが。

(1992.05.07)