夜の色




題名:夜の色
原題:The Color Of Night (1999)
作者:デイヴィッド・L・リンジー David L. Lindsey
訳者:鳥見真生
発行:柏櫓舎 2004.10.10 初版
価格:\1,800



 ヴェネツィア。画商とコレクターとの商談に始まる。商談の終わりに立ち込めるきな臭い空気。一気に場面は変わってヒューストンの別の画商の物語。妻を事故で無くして以来初めて妖しい美女に惹かれ始める主人公の恋愛ストーリーが始まる。『刻まれる女』で描かれた美術と美女のノワールな恋の物語であるかに思われる。かつての警察小説作家としてのリンジーではなく、美にこだわりながら人間の暗い深層を旅する作家としての新しいリンジーがこの二作で浮き彫りにされてゆく。

 そうした静とも言える一方で、パラレルに描かれてゆく複数の男女の命のやりとりは非常にダイナミズムに満ち満ちている。最悪の権力者による追跡と、正体を隠した元情報部員たちの命がけの逃走。やがて二つの物語は繋がってゆき、誰もが複雑に張り巡らされた蜘蛛の糸から逃れることはできない。

 この物語でリンジーは初めてスパイたちを描いているが、現ナマを手中にして世界中に逃げ伸びた5人の男女が徐々に追い詰められて行く緊張感は緩められることなく続いてゆく。ラドラムの主人公のように追い詰められ、トマス・ハリスの犠牲者のように死んでゆき、エルロイのように対決する。破滅と表裏一体のぎりぎりの暗黒世界を映画化させるなら、『ミッション・インポッシブル』に似た世界でありながらデパルマではなく、リュック・ベッソンにメガホンを取って貰うのが相応しいと思う。

 『刻まれる女』と比べると、本書は娯楽要素がぎっしり詰まり、世界を股にかける物語であり、しかもアクションシーンに事欠かない。前者が静の世界での異形と心の中の深いところでの謎を描いたものであるならば、本書は金と悪党に支配された世界への反逆の物語であり、裏切りと策謀に満ちた謎を暴いてゆくスケールの大きなアクション小説であるとも言える。

 本書だけを読んでいたら、きっとリンジーの全作を追いかけてきたぼくであっても、これがリンジーの作品だとわからなかったに違いない。でも圧倒的な筆力に裏打ちされたストーリーテリングは、ラドラムやフォーサイスなどよりずっと深みがあって、コクがあると言えると思う。

 ちなみに版元の柏櫓舎は、これまでリンジーを翻訳してきた山本光伸氏が三年ほど前に札幌で起こした出版社である。近いところでは東直己の『ライダー定食』を出している。本作品を社長自らではなく鳥見氏に任せたということは、よほど信頼を置いているのだろう。実際しっとりとした訳文はリンジーの味をしっかりと受け継いでいて確かなものである。同訳者は同じ柏櫓舎刊、エドワード・L・ビーチ『深く静かに潜行せよ』も訳している道産子である。

 リンジー初のハードカバーで、この優れた作家が広く読者の心を捉えてくれることを長年の愛読者として切に望みたい。

(2004/12/26)
最終更新:2007年07月15日 17:14