死影



題名:死影
原題:the Straw Men (2002)
作者:マイケル・マーシャル Michael Marshall
訳者:嶋田洋一
発行:ヴィレッジブックス 2005.5.20 初版
価格:\880

 渇いた暴力描写を、人間はどこまで、内なる拒絶反応に負けずに読んでゆけるだろうか? あるいは目撃、体験できるのだろうか? あまりに実感の伴わない暴力描写の最たるものとして、最近連日NHKで放送されていたドキュメンタリー『アウシュビッツ』は、やはりどう捉えていいのかわからないほど、非現実的に思えた。規模にしても動悸にしても人間が下し得る暴力に限度がないという、あまり知りたくもない真実を腹に埋め込まれるような気がして、存在の軸までぶれそうになったものだ。P>

 本書の導入部は、もちろんナチスの規模ではないのだけれど、それにしたって事件としての大量殺戮という意味では相当に衝撃的で、しかも無差別の暴力だ。それを天ではなく人が行うということの不条理に圧倒されつつ、物語は一旦事件から離れて、二つのストーリーを同時並行的に進行させてゆく。P>

 ストーリー間の大きな距離感は永い間埋められることがなく、連関性のないままに、あの衝撃的でった無差別殺戮ももちろん捨て置いたまま、冷徹クールな描写によって、戦う仕事を選んだ人間たちのそれぞれに取り組む事件と謎を追跡してゆく。P>

 マイケル・マーシャル・スミス名義で既にSF色の強い『オンリー・フォワード』でフィリップ・K・ディック賞に輝いている実力派作家らしいが、その幻想性、独特の世界構築性、ストーリーテリングとキャラクター造詣の妙、どれをとっても職人技能を感じさせる。

 他の作品もホラーを貴重としているというが、本書のクライマックスのじわじわと迫り来る暴力の渦と、追跡者がいつのまにか追われてゆく恐怖など、根源に湛えられている水圧の強さは落下点を求めて読者にかなりの衝撃を与えてくれる。

  ましてや三部作の一作として位置する本書だけでもこれだけのボリュームである。『羊たちの沈黙』などの過去の名作を凌駕してやろうと試みるこの作家のチャレンジ精神が、じりじりするほど楽しみなシリーズ、好スタートを切ったと言って構わないだろう。

(2005/09/04)
最終更新:2007年03月25日 23:01