※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

『自由に至る旅 ~オートバイの魅力・野宿の愉しみ』



題名:自由に至る旅 ~オートバイの魅力・野宿の愉しみ
作者:花村萬月
発行:集英社新書 2001.06.20 初版
価格:\740

 萬月氏と一度だけ話をしたとき、自然に北海道の旅の話になった。彼は野宿をしながらバイクで日本中を旅する人だってことがわかっていたし、作品からも、北海道にこの種の旅をした人でなければわからないような記述があって、それなりに北海道ファンとしてはそのあたりの共鳴音を聴いていたのだ。同席していたファンが、ぼくも昔ボーイスカウトをしていて……などと話を合わせようとしてくるのが実に鬱陶しかったのを覚えている。

 バイクと登山という違いはあれ、自前のプラン(あるいはノープラン)で独り旅を愉しむということに関しては、気が合う、合わないではなく、そうした行動を理解できるかできないかというだけの話なので、作家と読者という枠とは別の領域で、それはまた別の話ができるということである。

 この本を手に取るときは、あの花村萬月氏が、一方で、別趣味としての旅という領域でも文章を書いてくれているという愉しみに、個人的に動機付けられてしまっているのに過ぎないので、関心のない方やただ花村小説ファンだという人には、この本は決してオススメしない。この本を手に取ったからと言って花村文学の何かを理解するための一助になるとかそういう種の添え本ではない、ということだけは言っておきたい。

 あくまで野宿の価値観、旅というものを味わう心、孤独と自由をきちんと楽しめる能力、などが備わっていないと、この本はいったい何を書いているんだろう、で終わってしまうと思う。そう、読者を選ぶ本なのである。

 そのくらい、ツアーガイドや旅行本とは外れたところで書かれた本なのである。新書というと実用書と文芸書の間に位置するような気がするが、文芸としての楽しみもなく、実用書というほど機能しない、限られた読者だけを狙い撃ちしたような極めて狭い範囲の趣味本であるという風に割り切って読んだ方がいいと思う。その意味では、この本はまさにそういう部類だ。

 オートバイには乗りたい、乗りたいと思っていたのだが、免許を取るのが面倒くさくって、周囲のバイク・ブームにも関わらず、16歳になっても、ついぞ免許を取らなかった。それを後々まで後悔した。中学時代に、無免許でオヤジの通勤用カブを乗り回し、水田に突っ込んで泥まみれになった思い出くらいしか、ぼくにはない。

 しかしオートバイは乗らなくても、私は山登りに目覚めたわけで、高校を卒業した途端に山に登り始め、三十代半ばまでこれに没頭することになった。そのせいか、終電を恐れない人間になってしまい、駅前ロータリーの花壇や、公園のベンチや、住宅地の空地、駐車した2トン・トラックの荷台など、どこでも眠れる体になった。つきあっている彼女を送り、そのまま近所のどこかで野宿、っていうことを普通にやり、翌朝一緒に彼女と電車に乗ることが自分にとっての自然なスタイルだった。

 山に出かけてもテントがあり、皆がその中で眠るのに、自分だけ外でツエルトを被って星空を見上げながら眠った。寒いという代償を払ってでも星の下で眠ることがたまらなく好きだった。雨の夜はテントで寝ることがさすがに多かったが、それでも頭だけ外に出して、びしょ濡れになって寝てたことなどもある。昼間はどこの岩に転がってもそのまま眠ることができた。岩に張り付いて眠ってしまうことを山用語でトカゲといって、それを好んでいた。さすがに、皆からは眠る天才だとすら言われた。

 日常生活から用意に切り離した自由を謳歌できる精神はありがたいものだ。本書はそのあたりの手続きのようなもの、自由の価値について、より具体的に、地域的に、必要な道具のアドバイスなども添えて、比較的忍耐強く書かれた萬月氏にしては珍しいタイプの新書である。萬月文学の解読に役に立つわけではないと書いたが、唯一「たびを」には相当重複す原点行動が本書内に散在しているようである。何よりも、著者の豊富な髪の毛のある若かりし写真などは、この本を置いては他に拝見する機会がないかもしれない。と、ある意味で、とても貴重な一冊である。

(2007/02/25)