風花



題名:風花
作者:鳴海 章
発行:講談社文庫 2000.12.15 初刷 2001.10.30 5刷
価格:\667

 穂高岳西面山麓を歩きながら、ふと雪が舞い降ちていることに気づく。よく晴れた冬の飛騨。陽射しが雪面に跳ねている。それでも蒼穹のどこかから雪が舞ってくる。雲ひとつない紺青の天球のどこかから……。

 「かざはな」先輩のK氏がぼくに呟く。
 「え?」ぼくは聞き返す。
 「風で山の木に降り積もった雪が飛ぶんだ。そいつが山麓に舞ってくる。本当の降雪じゃないが、こいつを風花と呼ぶんだよ」

 K氏とはその山行を最後に、山に事故で死に別れてしまった。風花という言葉への思いはだからこそ強い。それと同時に、美しい言葉でもある。多くの後輩に、ぼくは同じ知識を伝授してきたつもりだ。後に、後輩たちの誰かがこの本を手にとって、そんなある日の一瞬を思い出してくれると嬉しい気がする。

 鳴海章作品とのぼくの出会いは、帯広のばんえい競馬を舞台にした『輓馬』であった。映画化作品である『雪に願うこと』を見た。その前に原作を読んだ。映画は大抵の場合、原作よりも派手なものである。それは間違いなかったが、映画としてはあまりに地味であった。相当原作を大切にした作りである、という風に感じた。根岸吉太郎作品だ。

 同じことがこの『風花』でも言える。小泉今日子というある時代の象徴でもあるアイドル、そして今をときめく若手俳優の浅野忠信を起用しながら、何とも地味で丁寧で生真面目な作りの相米慎二フィルム。いまどき、こんな映画が、と思えるくらい、何のストーリーもない作品である。それでも抱きしめたくなるくらい愛おしい映画であることに間違いはなかった。凡百の映画の内容を忘れ去るとしても、こいつだけは忘れないだろうと思える類いの。

 もちろん映画を見る以前に本書を読んだ。映画も、小説も、東京でふと出くわした二人が、北海道に渡り何となく旅を始めるというものである。映画ではレンタカーのコースは明記されないが、小説では、千歳空港から襟裳岬に向かい、黄金道路を巡って、富良野経由で宗谷岬まで北上してしまう。さらにサロマ湖にて風花を見る。

 レモンが廉司に風花のことを説明するのはこのシーンだ。

 「風に舞う花だって。優雅よね。枕元に溜まっていた雪はきれいでも、優雅でもなかった」

 貧しい実家での少女時代を思うレモンの雪と、風景の表層を流れる雪とではまるで違うイメージなのだろう。こうした会話と、ゆったり流れる時間の中で、小説は一人の男と女の救いの形を描いてゆく。

 リアルタイムの悲哀を負って、本当に存在する道程をなぞり、等身大の温もりを抱き寄せてゆく。

 作品は最愛の子の待つ実家へ向かって歩き出す、風俗嬢レモンのシーンで終わってゆく。描写だけで場所を想像すると、湧別か常呂あたりと思われる。

 サロマ湖に舞う風花が容易に想像できる。感動的でも何でもないそこらに転がっている一シーンで終わるあたりは、小説も映画も共通している。ちなみにそれは『風花』にも『輓馬』にも共通している。

(2006/07/17)
最終更新:2007年02月11日 00:23