新リア王




題名:新リア王 上/下
作者:高村 薫
発行:新潮社 2005.10.30 初版
価格:各\1,900

 前作『晴子情歌』から3年半。新聞小説としての連載を終えて、分厚い高村版昭和史の第二作が上梓され、この難物に取りかかる気になれたのがようやく購入の3ヶ月後。『レディ・ジョーカー』で戦後昭和史に高村なりの清算を迫った文学志向が、元来暖めていたであろうミステリー離れ、かつ、より直裁に昭和を語ってゆく方向での、下北半島を舞台とした福澤家サーガとでも呼べるものに、作家を導いていったのか。

 かのドストエフスキーがいつも殺人を題材として描く一方で、『作家の日記』でも、政治状況への参加態度をあらわにしていたように、高村は現代という政治状況と常に切り結んでゆくことを自らに課しているのかもしれない。

 娯楽小説であるのか、純文学なのか、、見極めの難しい臨界点に、小説という彼女なりの玩具を置きながら、読者に無数の謎を提起してみせる現在の態度をどう解釈していいのか。

 マグロ漁船に乗りながら前作では晴子の手紙を受け取っていたであろう彰之は、出家し、下北の古寺に逼塞している。不意に彼を訪ねたのが、父であり、代議士人生を今にも終えようとしている老境の、榮。政治・宗教にそれぞれ沈潜してゆく互いの人生を、交互に語り合う形で、物語は進行する。

 榮の政治背景は昭和そのもののねじくれた皺の深みである。彼の青森での一族の人間模様が生み出すいくつもの修羅は、相変わらず高村劇場。シェイクスピアも顔負けのリアル、かつ情念に満ちたベクトルの激突が、回想のかたちで織り成されてゆく舞台である。それらが静謐に、しかしながら徐々に気圧を高密度に変えてゆく。高まるGが爆発する地点で、彼の秘書の一人が死に、現在という状況の象徴にも似たこの仏寺を、廃墟に変えてゆく。

 表現されるのは1983年の政治舞台。ロッキード疑獄が終わり、竹下が今にも王になろうとしていた時代。榮という下北のリア王が、最後の炎を燃焼させ、帰還した寺での三日間。彰之の謎に満ちた、航海と出家による孤独な人生に到底鏡とはなりえない人生を重ね、榮は自己を映してゆく。

 東京の警察から未明に受ける電話を、朧な意識ながら榮が取る。受話器の向うの若く鋭い声を聴く。合田と名乗る刑事の声を。

 高村の地平は広く、かくも無辺際であり続ける。

(2006/02/05)
最終更新:2007年02月10日 23:58