照柿





題名:照柿
作者:高村薫
発行:講談社 1994.7.15 初版
価格:\2,000 (本体\1,942)

 高村薫はこういう方向をめざすのならめざすと最初に言ってくれればいいのだ。何故かミステリーとか冒険小説の分野で有名になった人だから、ぼくには彼女がいかに小説が巧かろうが文章がすごいレベルに達していようが、正面切って褒める気には、到底なれないのだ。

 前作『マークの山』で、これまでの高村作品の域を越えたと一番感じた理由は、ストーリー性をやっと持ったとの安堵感。これがまたも『わが手に拳銃を』などの情念の世界に戻ったのがこの作品。これはどういう読者を相手に書いているのか、ぼくはわからん。

 溶鉱炉を抱える主人公に対し、一目惚れの刑事というのもアンバランスな気がしてならなかったし、これが『マークスの山』とつながっているなどという半端なサービス精神というのも、むしろぼくには鼻持ちならなかった。

 この作品の目指す方向での傑作は、実はぼくはドストエフスキー『罪と罰』であると思う。その方向を日本の小説界で結晶させたのが加賀乙彦の『宣告』であるとぼくはいまだに思っている。一方、この小説はそうした作品には到底行き着いていないと思うし、そうした作品ほどに深くもないと思うし、さして面白いストーリーとも思えないし、純文学的なという形容を冠してもなおページが進まない退屈さに充ち溢れていた。いきなりクランシーばりの工場機械の描写などで落ち込んでしまったぼくには、冗長極まりない作品になっちゃうのだ。

 と書くのは、やはりぼくにとって、この分野での衝撃をもたらす作品は『罪と罰』や加賀乙彦の『宣告』『フランドルの冬』であったからだ。『照柿』は確かに日本の小説としてドはずれた力量を持つ作品であるけれど、今更すごいという作品でもないんだというのがぼくの感想。増してや『黄金を抱いて飛べ』で文壇デビューした作家の使命ではないんじゃない? というのが、ぼくのこの作家に対する苛立ち。

 『悪童日記』の数倍の原稿を費やしてなお『悪童日記』ほどには人の恐怖を描けていない「照柿色」と言うイメージだけの薄い世界……とこの際ぼくは言ってしまおう。

 簡単に言えば『マークスの山』の娯楽性に戻ってくれないのなら、ぼくは高村薫とある意味での訣別をするぞとの思い。かように作者と読者の思いは、一路線分、確実にずれまくってしまったような気がする。

 「空気が足りない」ために殺したラスコーリニコフ、「太陽のせいで」殺したメルソーと、ドストエフスキーやカミュが描いた部分に突き進んでゆく高村薫を、まるっきり否定するわけじゃないんだが、よりすぐれた他の作品群を、時間を越えてでも読んで欲しいとの切実な思いの方が、ぼくには先に立ってならないのだった。

 そういう意味で、みごとに読者に対してのこれはオフサイドだと言える一冊……と思ってしまったぼくなのである。

 ちなみに『宣告』の中の『悪について』という、手記で語られる殺人の章は、この章だけで十分、『照柿』の世界に生きる人間の魂を表現しているように思う。機会があったらこの章だけでも読んでみてください。『照柿』は加賀乙彦に影響されていないだろうか?

(1994/08/01)