ららら科學の子




題名:ららら科學の子
作者:矢作俊彦
発行:文芸春秋 2003.09.20 初版
価格:\1,800

 かつての矢作はアメリカかぶれだとしか思えなかった。矢作作品のなかでは品川ナンバーは田舎者の象徴であり、横浜ナンバーが世界の中心であった。港があってジャズがあって外国人兵士が駐留していて、中華街をのし歩くことが、矢作のステイタスであった。矢作はアメリカ文化を軸に据えたような物語を沢山書いた。ブロードウェイ、ニューヨークが大好きであるように見えた。日本の文化など一顧だにしていないように見えた。

 それでいてエッセイの中では、小説から少し離れ、長島巨人が好きであることが明記されていた。多くの具体的な趣味が明記されていた。日活無国籍アクションからの感化を惜しみなくさらけ出していた。とりわけエースのジョーへの讃歌には何ら恥じらうところがなかった。思えばただのオヤジ趣味、だった。

 そのオヤジ趣味を前面に出すようになったのは、小説をあまり書かなくなってから……雑文書きで食ってゆくようになってからのことだと思う。少なくともかつてのハードボイルドの王道を行っていた日本では数少ない作家であった矢作であることを、彼はやめてしまったのだと思う。『新ニッポン百景』は新たな矢作の地平へ繋がった。多かれ少なかれ、あのプロジェクト(写真と雑文で出来上がった日本の雑文化、および国際的諸問題への新たな言及を開始した矢作のいきなりの社会参加的姿勢)は、その後の矢作の方向性を180度変えたと言っていい。

 かつてはアウトローであり、かつてはアナーキストであった。極度な個人主義であり、趣味人であり、田中康夫の『何となくクリスタル』よりずっと先行したブランド主義者であった。そうした無責任で野放図な矢作が憎たらしくてとても好きだった。少なくともあの過度なまでのレトリックと、キザな文章にいかれていた。

 今や矢作はそんなすべてから変わって大人になった。本書での主人公は団塊の世代であり、かつての全共闘世代。機動隊への暴力行為から中国へ逃げ出し、30年後の日本へ戻ってきた今浦島である。その間の情報が完全な空白である彼の目を通して60年代日本と今とのギャップを描いてゆくおかしみが全編を彩る。かつてのオヤジの文化が、今の日本をどう捉えるかというエッセイ風の小説は、やはり雑文の粋を出ず、娯楽小説書きであることをやめてしまった矢作の、その後の別人作家である。残されたものはあの頃そのままの文章の精緻と、脆いまでの感性の鋭さだ。馬鹿丁寧に生真面目に書かれたこの長編小説こそが、あの頃の不真面目な矢作に遠く背を向けて立っているように見えてくる。そうした切なさの方がなぜか浮き立って見える一冊なのであった。

(2003.12.07)
最終更新:2007年02月10日 22:24