ロング・グッドバイ THE WRONG GOODBYE



題名:ロング・グッドバイ THE WRONG GOODBYE
作者:矢作俊彦
発行:角川書店 2004.09.11 初版
価格:\1,800

 矢作のハードボイルドを全部持っている。ハードカバーで、書棚の取って置きの場所に並べている。文庫はそれなりにそれなりの場所で大切に保管している。人に譲る気持ちはこれっぽっちもない。

 自分は矢作のファンなのかと聞かれると首を傾げたくなる。さほど好きではない種類の人間であるという確信がある。もうひとり我が家では同じ扱いを受けている人に村上春樹という作家がいる。どうも友達にはなりたくないのに、なぜか著作は初版ハードカバーで、我が家の書棚のとてもいい位置をちゃっかり占拠している。

 ぼくが書物として撮っておきたい作家の基準は何かと思う。この二人の他には格別のこだわりを持って書棚に並べる作家は、そう、エルロイとクラムリーくらいだろうか。花村萬月がこれに準ずる。他はそう、火事になっても命がけで持ち出さないかもしれない。でも矢作は、というと、ぼくはきっと第一に持ち出すだろう。

 さほどに矢作の小説に惚れぬいてきたということか。小説そのものの価値を文章の素晴らしさということで照準を絞るとき、生き残ってゆく作家として矢作はその特等席に座る。では文章はどうやってその価値を上げるのかというと、その言葉たちの背後に居座る作家のソウルフルな部分によってだと思う。いやらしいほどのこだわり。そして頑迷さだと思うのだ。

 本書はなんと20年ぶりのシリーズ新作なんだそうだ。矢作は、その間日本の風土に関するエッセイを週刊誌に連載し続けてなんとなく作家としての厚みを増していった。そのあたりを相当に利用して作り上げたプロットでもあるし、同時に置き去りにしてきた青春時代の地図を辿る旅でもあるのが本書だ。二村英璽の年齢は定かではないが、その年齢不詳である部分、あるいは一つ前のオリンピックの年を背景にしているあたりに作家としての企みを感じる。

 『ロング・グッドバイ』と言いつつ、チャンドラーへのオマージュではなく、チャンドラーへの反旗とも感じられる不良が頼もしい作品でもある。伊達邦彦だと名乗り、大藪を茶化す場面があれば、"I, The Jury"とミッキー・スピレーンのタイトルでごまかす場面もあり。そう言えば矢作のジャンプ台は『マイク・ハマーへ伝言』であったのだ。

 そして矢作の凄さは、ハードボイルドを大人の男の玩具と見て憚らないところだ。現代というもののすべてを笑い飛ばし、茶化すようなセリフでうずめながら、痩せ我慢と正義の握り拳を掲げ、卑しい街への偏見のない見識を持って、自己犠牲の使者であり続ける。そんな、現実にはなかなか見つけることのできない、そう、駄菓子屋でしか売っていないたぐいのヒーローを世界のどこかに再生させる試みとしてのブリキ細工。

 だからこそ現実味は帯びなくても、日本小説としては無理があっても、それでも横浜、アメリカ人たちの文化が湿潤してくるノン・アイデンティティの無国籍エリア。そこにだけ喘ぎつつも生きることのできる、矢作美学が今も確かに存在する。そんなことが確認できただけでも、古の矢作読者はそれを堪能することができる。ましてや、以前の矢作より遥かにパワーアップした現在の物語であればなおさら。

 強いて言うならば、『コルテスの収穫』を最期まで書き切れなかった作家と、この丁寧なものづくりをする作家が同一人物とは全然思えないのが不思議というくらいだ。

(2004.09.26)