帖の紐(たとうのひも)



題名:帖の紐(たとうのひも)
作者:稲見一良
発行:中央公論社 1996/9/20 初版
価格:\1,200

 桐野夏生『柔らかい頬』では、癌で余命幾許もない刑事の姿が強い印象を残した。稲見一良という作家は、この本の中でまさに強烈な意志の力で末期癌と闘っているから、ぼくは小説中のあの刑事を思い出さざるを得なくなった。もしかしたら桐野夏生は、稲見一良をモデルにあの刑事を創出したのかもしれない。

 このエッセイ集は別に闘病記をテーマや題材にしているわけではない。ただ彼の亡くなる半年前、洗面台半分ほどの血液を何度も吐瀉しながら、作家は最後まで一字でも多く世に書き残したいと言って去って行った。その意志の強さ、作家的精神の逞しさ、死の病と闘う表情のようなものの籠る、これは執念の一冊だった。

 内容は、ぼくが読む限りとても頷けないことばかり。非論理的で、頑迷で、古臭い理屈に満ちている。同じことをどうでもいいような人間に言われたら、足蹴にしたくなるほどに理不尽極まりないエッセイ集だと思う。頑固老人の理不尽なお叱りを黙って聞き頂いているような身の置きどころのなさ。

 その向こうに忘れていた老人の存在、親の暖かみ、古い時代を代表する日本の父親像が見えてくる。若い頃には喧嘩ばかりして、大阪中のどの留置場にだって厄介になったことがあると豪語。強がりに生き、タフという言葉の中で死んでゆこうとする病床の老作家の姿が……。

 あまりにどきどきと繰る1ページ、1ページ。生の時間を刻一刻と切り刻まれゆく痛みに満ちた一冊である。

(1999.6.11)