砂漠の船



題名:砂漠の船
作者:篠田節子
発行:双葉社 2004.10.20 初版
価格:\1,600

 篠田節子が今回挑んだテーマは家族。団地に住む何の変哲もない夫婦と高校生の娘の三人家族の日常を淡々と描いて、その裏に潜むそれぞれの修羅を抉り出す。浮浪者の不審な死と、それがこの家族に偶然関わってくる因縁。そのあたりの偶然性に疑問符を投げかけてもいいのかもしれないが、それ以上にいやらしいほど現実味たっぷりの日常の重みが作品全体に、黒い影を投げかけて、こちらの世界を捕まえにくる。

 淡々とした家族の日常と、会社、団地という集団、娘の秘密など、父の視点から描き出してゆくのだが、女流作家が父親の視点から母娘を描くという作品そのものの奇抜にまず驚く。女性たちの心情を女性の側から描くのではなく、男の側から描き、女性たちの見えない部分への不安、怯え、距離感などがいやにこの父親を孤立して捉えさせている。何ともリアルでいやな筆致だけれど、これが作品を読ませる推進力であるとも言える。この作家でなければ書けない芸当ではないかと思う。

 読者を選ぶ小説であるかもしれない。子育てを終え、男女の関係のなくなった初老間近の夫婦、あるいは家族という関係の中で互いの距離感をどう制御してよいのかわからなくなった人々、会社に見捨てられ、徐々に追放されてゆく管理職、娘の心情が理解できず、娘への強い不信や危機感をもてあます親たち。

 日常生活の中にマンホールのようにぽっかりと口をあけている危険が、家族をいつも招いており、そこに誘い込まれることで破壊される家族の絆が何とも危うく、スリリングである。

 こうした家族の肖像の上に、彼らの親の時代、祖父たちの時代、出稼ぎ労働者たちの実際、彼らが抱えていた家族の問題などもこの小説は照準に捉えてゆく。一代前、二代前の家族たちが、田舎の村社会によってどのように翻弄されたかという点まで。現代の団地と半世紀前の村社会に息づくものたちの対比、共通点など興味深い。とりわけ差別構造の存在や、その村を脱出する人びとの存在。

 古い因習に縛られる日本の今と昔の中で、解体してゆく家族たちの悲鳴が、人々の孤独を軋ませる。他人たちは誰もが幸福に見えてならないという視野も含め、幅広い時空列の中、トータルにここまで家族というものを追跡した長編も珍しいかもしれない。力作だが、何ともやりきれない。こちらの生活にまで浸透してくる怖さを秘めた篠田版現代地獄絵図であろう。

(2004.11.04)
最終更新:2007年02月08日 00:07