インコは戻ってきたか



題名:インコは戻ってきたか
作者:篠田節子
発行:集英社 2001.6.30 初版
価格:\1800

 キプロスで小さな紛争に巻き込まれる日本人中年男女の6日間。篠田節子には文化・宗教・政治などの民族対立を描く作品があるけれど、これはそのカテゴリー。イスラムとキリスト教の対立の構図は、この時点ではキプロスという地中海上の小さな島を舞台にしており、今世界を震撼させているマンハッタン島のテロなんてことは、さすがにスケールの大きな作家・篠田節子でも思いついていなかっただろう。

 日常を背負った日本人女性が、生命の危険を感じつつもとことん企業の一員で在り続ける姿は、ワールド・トレーディング・ビルで今なお安否不明の企業重役たちとダブってくる。普通の日常の重さが、事件現場付近で、家族たちが、行方不明者の写真を掲げて探す姿の中にようやく見えてくる。

 一方で男の方はフルー・カメラマン。国際舞台の紛争地帯では生死を賭けた選択を日常的に迫られ、いつも自分は沢田教一を目差しているわけではないと言いながら危険な被写体に向けてレンズを向けてしまう写真家としての本能を剥き出しにする。

 ヒロインはキプロスに女性雑誌用の記事を取材に出かけただけなのに、カメラマンとの出会いが旅の質を変えてしまう。キプロスという島国が、ギリシア人によるギリシア正教とトルコ人によるイスラム教との間で南北に切り裂かれて常に対立構造にあり、緩衝地帯を軸に向かい合っているなどということをぼくは知らなかった。そこに出向く女性雑誌記者はキプロスを観光の眼で見つめ、そこの美味しい地中海料理やホテル、レストラン、青い海を取材する。同行の代理カメラマンの命がけの選択肢が常に傍らにあることを迷惑に思いつつも、どこかで惹かれてゆく。

 『弥勒』では独りで巻き込まれた革命であった。本書では二人だからこそ巻き込まれた紛争なのである。『弥勒』の重厚さは独りゆえに抱え込まねばならなかった種類の危機から産み出されたものだったが、本書では二人ゆえの不明、二人だからこその相手への懐疑があり、周囲への二重の理解があり、選択の誤謬があったように思う。

 ニューヨークのテロをニュース番組で目撃しつつ、同じ日々に一方で知られざる小国の宗教民族対立に流された鮮血に驚かされる。偶然にしてはピンポイントのタイミングでぼくの生活に入り込んできた少し印象的な本であった。

(2001.09.24)
最終更新:2007年02月07日 23:38