狙撃手ミラの告白




題名:狙撃手ミラの告白
原題:The Diamond Eye (2022)
著者:ケイト・クイン Kate Quinn
訳者:加藤洋子
発行:ハーパーBOOKS 2012.8.20 初版
価格:¥1,470


 現在、現時点で、数少ない正統派冒険小説の担い手のトップ・ランナーは、間違いなくケイト・クインという女性作家である。印象的なヒロインと、緻密な考証に基づいて描かれるスケールの大きな戦争時代の冒険とロマン。かつての冒険小説のほとんどが男性作家であったことを思うと、今、この時代だからこそ、戦争の物語の渦中を駆け抜ける女性たちの存在が際立って見えてくる。

 現在の女性であったかもしれない過酷な戦争の時代を生きた女性たちの日々を、この作家はいつも活き活きと力強く描き切ってくれる。そして、ぼくのような男性読者であれ、戦争という最も過酷な状況を背景に、この作家が作品毎にこれでもか、これでもかと言わんばかりに叩きつけてくるストロングな女性の生き様にその都度、感動を覚えざるを得ない。

 本書では戦争中にソ連側の狙撃兵として300人以上のナチの兵士を射止めたと記録される実在の女性を描く。単独主人公としては本書が初だそうだが、やはりこの作家は主人公の周りに男女を問わず魅力的な個性を複数名配置して、ヒロインの人生に大きな影響を与えるというとても人間的な物語の進め方を得手とするらしく、本書でもぼくは印象的な数名のキャラクターの運命についてもヒロイン同様に動悸や興奮を抑えることができぬまま、物語世界にどっぷり浸かり込んでしまった。

 中でも舞台に加わった山の老猟師ヴァルタノフは印象的な存在であった。ナチによって全滅させられる猟師の経験と知恵とをヒロインが敬意とともに学び取ってゆく姿は、年齢の近い同僚や胞輩たちとの恋愛に近い友情とは別の何か生命力に繋がる糸であるようにも思われる。

 物語は1942年、第二次世界大戦の終戦が近づく時期、ワシントンDCに招かれたソ連軍の女性狙撃兵ミラことリュドミラ・パブリチェンコの登場に始まる。しかも彼女をつけ狙う謎の狙撃者の視線を通して。そしてその時代を遡ること5年、1937年にスタートするミラの過去とが交互に語られ展開してゆく。女性としての恋愛と結婚、そして十代での出産と夫との離別と軍隊での憎むべき再会。

 運命に翻弄される女性でありながら、誰よりも強く正確なスナイパーとして育ちつつ、惜しむべき同胞たちの死を体験させられる。残酷な死に囲まれながら自らも砲弾を浴び、さらに復活する志を持つまでの試練の時代。

 多くの世界、多くの時代が人間を消耗させ、そして別の人間を創出してゆく。そんな物語をこれまでの作品でも書き上げ、それでいて主人公の女性たちに高らかな賛歌を捧げてきたのがケイト・クインという著者である。物語力は秀逸だし、創り出される個性たちの魅力もまた、どの物語でも強烈である。毎年、一作、あまりに強烈で印象的な時代とそこに生きた女たち、男たちを描いて、今年も改めて愉しませて頂いた。

 知られざる狙撃者でありながら実在の人間であったことをここで物語られたミラという一女性の過酷な人生に、読者として少しでも近づき、寄り添うことができたことを心から幸せに思う。暴力を憎みながら銃を取らざるを得なかった時代の不幸を激しく憎悪しながら、だけれども。

(2023.11.06)
最終更新:2023年11月06日 16:10