獣たちの庭園



題名:獣たちの庭園
原題:Garden Of Beasts (2004)
作者:ジェフリー・ディーヴァー Jeffery Deaver
訳者:土屋 晃
発行:文春文庫 2005.09.10 初版
価格:\905

 逢坂剛が得意なのは、トリックを煮詰めることではなく、描写によって読者の眼を欺くことである。『百舌の叫ぶ夜』の帯には「トリックからプロットへ」という表現がなされていて、それがどういう意味なのか、何が斬新なのかと考え悩んでしまったことがあるが、その作品がエンターテインメントとして実に成功した作品で、本当に読者としてころりと騙されてしまった記憶がある。

 しかし後になって考えてみるとプロットをしっかり練って、あとは描写によってある部分を隠すことが読者を欺くという、この技法は、難しいトリックに頼るよりもずっと簡単な方法ではないかと思うようになった。

 ジェフリー・ディーヴァーという作家はもともとそうしたトリックやプロットにあまり頼らないという、ジョン・ペラムに代表されるようないい作品を書いていた時代があったのだが、いい作品が売れる作品、面白い作品とイコールになるはずもなく、次第にスリラー色を強めてゆき、状況型サスペンスである『静寂の叫び』を経て、ついにプロット練りに練ったりというリンカーン・ライム・シリーズに富の資源を求めて旅立ってゆく。

 神経を断裂した探偵という突拍子もない設定と、悪のボスキャラたちの印象深さ、そして何よりも知略を尽くして次の犠牲者を「狙う者」と、それを「阻止する者」という正邪対立の図式による泣く子も楽しめてしまうお話が大向こう受けを狙って見事に金星を射止め続けている作家である。

 本書は、そうした毎度の切り口を変え、世界のスリラー作家にとって最大の悪役であるナチス・ドイツを相手取ったアメリカ・スパイの物語としている。古くはヒギンズの『ルチアーノの幸運』のように、いわばギャング世界のプロにもある愛国心、ではないが、映画『ザ・ロック』の強奪のプロを演じたショーン・コネリーのように、国家的作戦に従うか、さもなくばムショ、といった脅しの果てに、一世一大の大作戦にいやいや狩り出されるのが、本書の主人公、ポール・シューマン。彼はいわばマフィアの殺し屋。

 ディーヴァーらしく、一向に殺し屋らしく見えないのは、相手がより殺し屋性においていずれも上回る冷血の持ち主であるゆえか、ディーヴァー生来の勧善懲悪趣味の過剰ゆえか。なんにしてもプロットにひとひねりあるのもいつもどおりながら、無用に長すぎる点もいつもどおり。いつもどおりでないのは、版元である文藝春秋がきちんとハードカバーで出さず、最初から文庫版との判断を下したあたりか。確かにお話としてはジェットコースター味に欠け、冗長の嫌いがあり、しかも馴染みのない主人公であるせいか、スタートダッシュがやや弱いなど、気になる点が多々あり。

 常にハリウッド映画のようで、シックさに欠けるのがディーヴァーの短所と見ているのだが、ヨーロッパを舞台にしていながら、映画『大脱走』のようにアメリカ人の視点で見た他人事のドイツ、というようにしか見えない、妙に気の乗らない誠意に欠ける文化というところが、本書のような素材を危うくしている。このあたりの素材で勝負ということであるなら、ヒギンズのようなヨーロッパ作家、あるいはグレッグ・アイルズのように本格冒険小説をちゃんと書ける作家、あるいはフィリップ・カーのような異端の作家に任せておいた方が良いのでは、というのが正直なところ。

 ディーヴァーは、映画に譬えるなら、やはりCGを使ったハリウッドの大作監督というイメージである。本書はそういう意味では、ちょっとした冒険であったかもしれない。しかしホロコースト前夜という時代に材を取りながら、歴史の悪意そのものよりもプロットで読者を欺くという娯楽性ばかりに気が行ってしまい、この素材では見合わぬ作品の軽さを感じてしまったのは、おそらくぼくばかりではあるまいと思う。

(2007/02/04)