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天国の扉 ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア



題名:天国の扉 ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア
作者:沢木冬吾
発行:角川書店 2006.01.31 初版
価格:\1,900

 骨のあるクライム・ノヴェルである。……1970年生まれの若手作家であることが信じられないほどに内容が濃くて太い。

 とは、2003年の作品『贖いの椅子』の私のレビュー書き出し部分であるのだが、これは本作でもそのまま当てはまる。むしろ文章そのもに、余計な力が入っているせいか、読みにくいと思われるほどに、濃すぎ、太すぎる、というのが、三年ぶりの長編第三作読み出しの印象である。

 前作では車椅子の復讐者という主人公を設定し、過酷なストーリー作りで印象深かったが、本書もまた低くないハードルを主人公の造形として設定している。古武道の直伝であることによる厄介な相続問題、父との葛藤が主人公の設定を困難なものにしている。しかも主人公は、謎の集団による監禁状態で幕を開ける。

 このままジェットコースター・ノヴェルになって加速してもおかしくない導入部だが、ブレーキをかけるのも実は作者だ。物語を加速させるよりも、ずっとずっと主人公の半生を掘り下げることに力を配分させ、時間を使う。体のいいエンターテインメント作家なら決してやってはいけないことだと思うが、読者を振り切ってまでやるかと思うほど、この作者にはきっとイズムがあるのだと思う。いわば平成の志水辰夫、といったところか。

 そういう作者を嫌いではないのだが、ここまで生真面目であれば、むしろ疎まれる。そういう危惧を随所に感じるのは、何と言ってもストーリーがよくひねられている割りにリズムの掴みにくい切れ切れの文章のせいかもしれない。文体を直せばいいのか、と単純に割り切れるほどでもなく、むしろ文章力はこの年齢の作家としては大人びているように思う。しかしそこにこなれ過ぎを感じるのは、作家の背伸びが表現の随所に不自然なまでに見られるせいなのかもしれない。

 丹念丁寧に描かれ作られた作品であるゆえの、凝った創作への道程が、逆に作品のテンポを奪い、優れたストーリーや作品の世界構築を鈍磨させている印象がある。こちらにゆとりが足りないせいもあったのかもしれない。重たい小説を読みたい気分ではなかったのかもしれない。三年前の前作で覚えた感動を、なぜか本作では感じられなかった。ある意味スーパーである、道を究めた主人公の正論が、逆に胡散臭く見えてしまったのかもしれない。次は庶民を、とこの作家に望みたい。手の届くところにある物語と、親しみやすさとを。

 こうした生真面目な作家が、ガチガチに作家イメージを作ってしまい、何であれそのスタイルで対処してゆこうというには、世の中の変化はあまりにも早すぎ、しかも逸脱しすぎる。置き去りにされそうな作家を他に何人も知っているだけに、せめて世の中への若干の媚を覚えてもらえれば、需要と供給も少しはバランスがよくなるのかもしれない。ジム・トンプスンやエド・マクベイン、ジャック・ヒギンズでさえ、かつては安売り作家の名簿に名を連ねていたことを思えば、娯楽小説というジャンルでは、それはあながち間違った方向とは言えないはずだから。

 ちなみにタイトルはボブ・ディランの歌から原題含め拝借したもの。ディランの歌は、サム・ペキンパー監督のディラン自ら出演した作品でもある『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』のなかで、ビリーに理不尽にも射殺される善良な老保安官と、その死を看取る老婦人のシーンで使用される歌である。天国の門を叩いて死んでゆくのは、本書では主人公の幼き妹。物語のイメージも空気も全く違う作品に、好きだからという理由だけで、安易にディランのあまりに印象的な曲名を、半ば確信犯的に持ってくるというのは、ディラン・ファンならずともいささか疑問に思うのではないだろうか。ぼくのようなディラン・ファンであれば、もちろん、なおのこと。
(2007/02/04)