冬の砦



題名:冬の砦
作者:香納諒一
発行:祥伝社 2006.07.20 初版
価格:\2,100

 香納諒一が『贄の夜会』に続いて、またもミステリらしいミステリを書いた。推理小説のサイドに立っての物語をあまりしなかった作家だけに、興味深く思っている。はっきりとしたハードボイルド作家というイメージから、もっと広い読者層に向けて作品を作る作家に変わったのは、一連の短編小説を書いてからのことだと思う。

 短編小説は腕を磨く。短編小説には、長さがもたらすキャラクターへの共感や愛着が生まれにくい。だからこそ、短い文章によって読者を引きずりこむ文章の質の力は、高いレベルが要求される。そうした土俵で相撲を取ってきた作家は、ぼくの知る限り信頼し得る作家となる。あるいは信頼のおける作家が短編を書いたときには、やはりきちんと納得のゆくものを生み出してくれることが多い。

 オットー・ペンズラーのようなアンソロジストがそう多くはない日本の作家は多くは月刊文芸誌で短編の腕を磨いているようだ。それらが纏められ単行本として世に出るあたりで、多くの読者の目に改めて触れる。最初から短編小説の書き下ろしだけで作られた一冊というのはあまり知らない。印象に強いのは稲見一良の『ダックコール』くらいのものか。

 閑話休題。香納諒一が短編を経て、いわゆる推理作家として足を踏み出したのが『贄の夜会』であり、ほぼ同時期に出版された本書『冬の砦』だろう。どちらも従来のハードボイルドやクライム小説の範疇からは少し遠いところに位置しているところが特徴だ。しかし、売れる市場を見込んでとか、ハードボイルドとしての存在価値に見切りをつけて、とかいった悪い意味で、改めて推理作家デビューを起こしたわけではないことは、両作品に接すると容易にわかる。

 それはどちらも、並々ならぬ渾身の二作であるからだ。少なくとも作家がこの二作に賭けたものの大きさは、感じられる。新境地であることを意識して力の入った作品は『贄の夜会』の方かもしれない。しかし、ぼくは従来の香納諒一のウエットな魅力やハードボイルドの持つ詩情(リリシズム)を兼ね備えた作品として、この『冬の砦』を一番に押したいと思う。

 主人公は警察を、とある事情で退職し、今は用務員兼柔道コーチとして友人の私立学園に厄介になっている。ある朝ジョギング中に発見したのは学園の女子生徒の死体であり、彼女をめぐって次第に明らかになるのが、過去を共有するPTSD体験であった。

 ドメスティック・バイオレンスから身を守る為に作られた冬の砦で起こった凄惨な暴力事件、そこからの生還者である子供たちの後の物語であることに、主人公は気づいてゆく。土地開発の謀略も絡んで、少女の死体が運んでくるものは、地元に深く根ざした欲望と屈折であった。

 同じように警察を辞職したコナリーのハリー・ボッシュ・シリーズ『天使と罪の街』を読んだばかりなので、主人公のそれぞれの警察官時代への帰巣本能と前所属組織との距離感のような複雑かつデリケートな思いが類似し、混乱を引き起こしそうになった。どちらの物語にとっても非常に重要な、彼らが「生きる」軸である。

 軸がはっきりしているからこそ、物語への感触はぶれず、印象に強く残る。地味ながら秀逸な傑作だと思う。作家の今後がますます楽しみになった。

(2006/10/22)