砂に埋もれる犬





題名:砂に埋もれる犬
著者:桐野夏生
発行:朝日新聞出版 2021/10/30 初版
価格:¥2,000



 桐野夏生の作品を久々に手に取った。なぜかこの作品は読みたいと思った。桐野夏生を久々に読みたいと思った。その後、どのように変化したのか、今はどんな作品を書いているのか。

 腹をすかしているらしい男の子に気づくコンビニ店主の描写から物語が始まる。汚れた服。匂い。痩せた男の子。

 そう。これは心の痛みを伴う物語である。一言でいうとネグレクトをテーマにしたストーリー。主人公は男の子だ。彼を取りまく環境は最悪なもので、再婚、再々婚、何人もの男を当てにしては転がり込んでゆくという生活が当たり前になっている若い女が母親である。

 主人公の男の子優真には父を異にする幼い弟がいる。彼ら兄弟は、母とその男に放置されて飢えている。必死に生きようとしている。母とその男(職業=ホスト)が、ゲームセンターや夜の酒場で遊び惚け家にはなかなか帰らないからだ。

 彼ら二人がどうなるのか、社会は彼を救えるのか? を作家は冷徹に描く。物語として語る。正直、救いは見えないが、救おうとする心は世の巷にないわけではない。救われない兄弟と、彼らを救いたいと思う夫婦の荒療治とその行方を描いた物語である。

 桐野夏生はダークな印象の作家である。それは今でも一歩も変わっていなかった。表紙の帯には<予定調和を打ち砕く圧倒的リアリズム>とある。まさに、それがすべてだ。数々の問題作を書いてきたこの作家。この作品は何とも無力感を感じさせる。人間の罪と罰。愛とそうではないものの違い。それらは一体何なのだろうか。作家は答えを提示しない。それらは良く研がれた矢じりのようにぼくらの正面に突きつけられる。

 この物語で、母はなぜ子育てを放棄するのだろう? その答えはやがて得られる。愛情の欠如。そしてモラルの欠如。それなしに育てられた子供はどうなってしまうのだろう。不快だがリアリズムに基づいた答だけが提示される。否、果たして答えは提示されたのだろうか。

 最後の最後にページを閉じた瞬間の自分の心を明確に蘇らせるのは難しい。社会の闇に光を当てる残酷物語であると同時に、優しい他人という初老の夫婦の存在はもう一つの本書の主人公として悲しくも救いであろう。

 なぜこの本を手に取ったのだろうか。桐野夏生という作家の他にないあのダークなワールドが今どうなっているかを垣間見たかったのだ、きっと。これまでの彼女の作品同様に、今のその作品も、やはり忘れ難い力作だった。

 ちなみにこの不思議なタイトルはゴヤの『砂に埋もれる犬』から。その絵の一部分がカバーとなっている。絵の全体像を検索して見た。砂から脱出しようと足掻く犬の絵であった。なるほど、この作品と響き合う。

(2022.7.23)
最終更新:2022年07月23日 17:25