贄の夜会



題名:贄の夜会
作者:香納諒一
発行:文芸春秋 2006.05.30 初版
価格:\2,857

 香納諒一が、がらっと変わった。文章を読み出しても、あるいは本書を読み終えても、どこにも過去の香納諒一がいない感覚がある。一人の作家の大きな変化があるとすれば、それは香納諒一の場合、この作品となるだろう。今、それに立ち合っているのだとの実感を感じながら、本書を丹念に読むこととした。

 まず、殺人事件。推理小説に近い構成。両手首を切り落とされた死体と、目撃者として殺された死体。残虐な骸。フーダニット。三人称による複数主人公の物語。いつも主観を移動させることのなかった作家が、神の視点で書き綴る客観的な事件の俯瞰に、どうしても戸惑いを禁じ得ない。

 今は多くの作家が警察小説を書くようになった。犯罪を通して警察官の人間模様を書く例が増えているように思う。かつて書かなかった作家による警察小説を読む機会が確実に増幅している。そうしたブームの一環と言えるのだろうか、本書も。

 偶然に偶然が重なるというプロットの錯綜は、サイコパスに近いと思われる殺人鬼と少年犯罪を犯していた弁護士、孤独な刑事とプロの殺し屋。こうしたキャラクターが入り混じるあたりに、かつての香納諒一のサービス精神が見え隠れするが、あまりの過剰ぶりに圧倒される感もある。

 そのハイ・テンションぶりは、サンシャインシティでの大掛かりな活劇へと繋がり、一方で姿なき犯人はメールやチャットを経て、どんどん怪物として巨大になってゆく。パワフルで知的、狂った誇大妄想狂に、復讐のスナイパー。警察官僚の中に巣食う悪の影。ありとある難問が一気に収斂してゆくクライマックスの舞台装置を今振り返っても、そのどこにも過去の香納諒一はいないように思う。

 娯楽小説への王道をある種の決意とともに歩み出した熟練の作家魂が、改めて次のステージをこうして展開して見せたということなのだと思う。プロットが凝りに凝っているため、奇怪な怪物のような作品になったことそのものは、あくまで本書だけの個性だとぼくは思うのだが。

(2006/09/17)
最終更新:2007年01月29日 00:06