ジウ III 新世界秩序[NWO]



題名:ジウ III 新世界秩序[NWO]
作者:誉田哲也
発行:中央公論新社 C・NOVELS 2006.8.25 初版
価格:\1,000

 通常であれば、これほど破天荒な物語をぼくは敬遠している。松岡圭祐の『千里眼』シリーズは三作くらい読んだ挙句、放り出した。使い捨てのアクション。刹那的なスリル。泡のように消え去る興味。分厚い本の骸だけが後に残り、それはCGを駆使したハリウッド映画鑑賞後の空しさにも似ていた。

 この『ジウ』シリーズだって、ともすればその虚構の刹那的快楽の罠に陥りかねない。言ってしまえば巨大な法螺話の域を出ない寓話に過ぎない。どんどん膨らんでゆく陰謀のコミカルぶりを、どう料理し、現代という平和な戦場に大人たちの関心を呼び込んでみせるのか。そのあたりが、こうした劇画すれすれのプロットについて回る、大き過ぎるリスクであるはずだ。

 二人の極めて対極的な女性捜査官のコントラストを軸に描き出したシリーズである。この二人がどのように、三つのばらばらな事件に絡み、そして互いに輻輳しつつ関わりあって行くのか。それがシリーズのすべてである。二人の距離と行動の交錯こそが、この小説世界を構築する主題であり、核である。このシリーズの最終話はそうした二人による決着というかたちで完了してゆく。

 打海文三の意欲作『裸者と裸者』のシリーズを想起させる大スケール巨編を、若書きながらきっちり構築してしまった誉田哲也は、B級活劇という意味で、他を遥かに置き去りにしていることは間違いない。B級であるがゆえの粗暴のなかに、繊細さな心の悲鳴を数多く散りばめて、フリーク化し、デフォルメを施しながらも、見た目以上に深い人間の傷、意思の弱さ、愛への飢えといったものを描き切っている。

 プロットの大胆はともかく、新鮮さと若さに噎せるような空気の張り、そして時代を映し出す感覚の鋭敏がここにある、素直に悲しみ、素直に共感のできる、いい作品であると思う。

 三部作の最終篇では一気に大きな舞台装置が用意されている。映画化されるとすれば、スケールの大きな『狂い咲きサンダーロード』みたいになるだろう。それはそれで話題を攫い、作りようによっては正当な人気を獲得し得るに違いない。

(2006/10/28)
最終更新:2007年01月28日 23:46