鳳凰の船



題名:鳳凰の船
作者:浮穴みみ
発行:双葉社 2017.8 初版
   双葉文庫 2020.1.19 文庫化初版
価格:¥640




 『楡の墓』で、すっかりこの作家のファンになってしまった。何よりも美しく正しい文章による正統派の小説作品であること。読んでいて心地よい日本語なのである。言葉とはかくも素敵なものなのか。改めてそう思わせてくれる作家は、実はそう多くないので貴重である。

 さらに素敵なのが、北海道開拓をテーマに、多くの魅力ある歴史上人物に焦点を絞り、彼らを生き生きと作品世界の中で蘇らせてくれる希少な作家であるということ。北海道生活に身を置くものとしては、この世界の未だ短い歴史はとても身近であり、とても心惹かれるテーマなのである。

 実はこの短編シリーズは、三冊完結となっているらしく、まさに今月、第三冊目の新作単行本『小さい予言者』も発刊となる。まさに突然のマイブームとなってしまったのがこの浮穴みみという一風変わった名前の作家であるのだ。

 『鳳凰の船』は船大工である続豊治と上田寅吉を主人公の邂逅の時間を描くタイトなストーリーだが、彼らの会話を通して、旧幕府と新政府に分かれ、津軽海峡に西洋式軍艦を船出させ、運命を分けた時代や世相、そしてその狭間で船造りを学び仕上げる船大工という存在の責務と苦しい立ち位置が、痛いほどに伝わる一篇である。

 『川の名残』は、ブラキストン、エドウィン・ダン、ジョン・ミルンと言った函館と北海道開拓にゆかりのある外国人たちと、彼らに関わったり妻となったりした日本人女性たちの姿が描かれる。思い出と共に消えていった川の姿を通じて、札幌に創成川を通した『楡の墓』の大友亀次郎の姿も浮かび上がる。どの作品も同じ地平で繋がっていることがわかるのだ。

 『野火』は、『楡の墓』中の短編『貸女房始末』で札幌の焼き払いを行った北海道庁初代長官・岩村通俊を描きつつ、七飯村で西洋農法モデルを試行したプロシアのR・ガルトネルによる果樹園という新しい未来が登場する。ぼくの住む町当別町でも、様々なリンゴ農法が試行錯誤されてきた歴史が記されているが、北海道の原野を新しく拓く気概を描いた印象的な一作である。

 『函館札』は、またもトマス・ブラキストン。本州と蝦夷の地の間・津軽海峡に動植物の生息域を分ける境界線としてブラキストンラインを提唱した学者でありながら、実はイギリス商人であった彼の、経済学的才能と、その皮肉な結末を示す一篇である。

 『彷徨える砦』は、弁天台場を取り壊すミッション下で悩む函館港湾改良工事監督・藤井勇の物語。クラブサン(チェンバロ)の音色が心に残る恋愛小説的側面も持つ美しい一篇である。

 若い頃、藤井が志津とともに歩いた創成川の思い出の描写を少し引用したい。

 <落日と共に、創成川のせせらぎが聞こえていた。砂時計の砂が落ちるようにさらさらと、しめやかに。
 それは静謐なひとときであった。不確かな将来に希望と絶望を交互に見出しつつ懊悩する混沌の青春の中にあって、澄んだ湧き水に手を浸すような、ささやかな救いであった。>

 短編集を貫くのはこの心象描写である。

 『野火』からも三行だけ引用を許されたい。

<俺は野火になろう。燃えて駆けめぐり、炎の命を土壌に捧げる。
 そして見事に消えてみせよう。
 野火は消されねばならない。消されてこそ初めて、荒野は沃野に変わるのだ。>

 明治維新という名の世界転換。そして舞台は北海道という未開の大地。巨大な変革とドラマティックな舞台と背景を基にして、人間の個の魂を描く傑作短編集、その第一弾が本書である。是非とも濃密な読書的幸福の時間を味わって頂きたい。

(2021.11.10)
最終更新:2021年11月10日 15:48