透明な螺旋




題名:透明な螺旋
作者:東野圭吾
発行:幻冬舎 2021.9.10 初版
価格:¥1,650




 東野圭吾の最近の作品の傾向は、現在と過去の捩じれた関係の中に謎解きの要素をまぶし込み、こねてこねて、最後に何枚もの皮相に包まれた真実のありかを見せる、といった傾向が強いのかな? 本書はガリレオ・シリーズ最新刊でありながら、主人公・湯川学をも事件の軸に巻き込んでゆくことで、一種の転機を見せる作品となる。

 本書には、今年の新作『白鳥とコウモリ』との間に、ちょっとした共通項が見られる。過去に蒔かれた種が、捩じれた成長を遂げて、思わぬ皮相を見せてゆくという展開がそれだ。事件は見られた通りではなく、時間の層を何度となく掘り下げないと見えてこない。捜査はそれを露にするために進んでゆくのである。

 このような作品を読むと、人間と人間の関係には少なからず捩じれのようなものがあって当たり前なのだな、というように思えてくる。それは必ずしも悪意のみならず、善意の行動による場合だってある。

 善人と悪人の見境は表面的にはつきにくい。しかし、その境界を見極める工程こそが、東野作品の魅力であるように思う。ヒントはけっこう明確に示されているのだが、それが明らかになるのは物語の最後の三章くらいからである。いくつもの善悪の皮相が取れて、ミスリードされた偽りの解釈の向こうに、真の善悪が見えてくる。

 愛とエゴ。生と死。真実と誤解。そうした人間界のからくりを揺すって心をミスリードさせるのが犯罪の顔だとするならば、本書では、房総沖に浮かんだ一人の男の死体が語る物語は、その発端であるに過ぎない。

 本書の物語は、戦後すぐに始まる。一人の女性が、赤子を孤児院に捨てるシーンである。物語は現在へ。この物語のヒロインは何者なのか? その周囲の人間たちは、冒頭の出来事にとってどんな関係であるのか? その辺りが本書のミステリー要素を高めるのだが、真相は近いようでなかなか手繰り寄せられない。捩じれの存在だ。謎の一つが、主人公のガリレオまで巻き込んでゆくところが、当初に書いた通り、本書の一つのエポックかもしれない。

 シリーズの常連キャラクターたちの個性を活かしつつ、作品主人公たちの人間関係の謎に迫り、房総沖で発見された男の死体がどう結びつくのか? という捜査経緯と、真実への幾層もの階段を辿る構成。

 いつもの手練れのミステリーの物語を見せながら、主人公も含め、親と子の血の問題に迫る切れ味の鋭さは、やはり流石と言わざるを得ない。

(2021.09.22)
最終更新:2021年09月22日 17:09