対になる人




題名:対になる人
作者:花村萬月
発行:集英社 2021.4.30 初版
価格:¥2,300




 実に久しぶりに読む花村萬月作品。花村さんは、ぼくより一つ年上の作家で、ほぼ同世代。最初にお会いしたのは歌舞伎町の文壇バーみたいな店。こちらは文芸評論家・関口苑生氏他とカウンター。花村先生は集英社の方とテーブル席。ハードボイルド作品『眠り猫』が出たばかりだった。

 それを機にぼくは花村作品の虜となり、長年ずっと愛読してきたのだが、時代小説一辺倒となってからの近年は正直離れてしまっていました。今回、久々の現代小説、しかも題材が多重人格とあって、ダニエル・キース著『五番目のサリー』『24人のビリー・ミリガン』以来のこの難テーマに挑む国産天才作家の手腕を久々に堪能させて頂いた次第。

 花村兄とは、数回お会いしたりパソコン通信(古い(^^;))でのメッセージ交換などもさせて頂き、札幌にマンションを買って一年ほど住んでいたが
京都に移転してしまった当時の経緯、北海道の貧乏旅のよもやま話、ブルースギターの話(花村さんはブルースギターの名手です)などなど、わずかだが共通趣味も多くて、何となくご縁があった。

 その花村さんが、本書では架空の作家とは言え、札幌のマンション生活を送る売れっ子作家という一人称等身大の語り手を通しての作品、しかもこの生活体験を通して出会った一人の女性との交情を描く意欲作を出してくれた。

 しかも多重人格という思いもかけぬテーマであり、実際の症例に向かい合う取材活動を基に描きあげた力作なのである。

 一つの肉体が50人もの人格を擁することになる原因は、心の容量をはるかに超える暴力や凌辱にある。一人の人間が人間であることをやめてしまい、他の人格として何事もなかったかのような別人生をリスタートする。そんな救済システムが働き始める現象なのだ。いわば多重人格という難しいテーマ、またその発症のめくるめく側面を具体的な小説という技法で叙述したものが、本書なのである。

 一方で、ダニエル・キースが人間の心の深さや神秘的な自己救済システムとしての多重人格を世に広めてから早や半世紀が経とうとしている現在、花村萬月は、改めて日本の札幌という街を舞台に、作家自身と、一人の傷だらけの女性との交情を通し、この世で最も不思議な恋愛小説を謳いあげているかに見える。

 花村萬月と言えば性と暴力の作家、と思わず装飾したくなるが、本書もまた性と暴力そのものに真向から取り組んだ力作だと思う。ただ心の深淵を旅することで途轍もなくオリジナリティは深いものとなっている。

 一人の女性をばらばらにし、現実を乖離させる中で、主人公の作家・菱沼の人生もまた私小説的に語られ続く。彼もまた自分の実人生を私小説的に振り返ることで、ただの観察者ではなく、共にある時期を過ごす50人の人格を持つ女性との最も不思議な日々を人生の万華鏡のように見つめなおす。

 不可思議な人間科学と、暴力やエゴにいとも簡単に破壊されてしまう心の耐性の実験道具として、弱くても繋がり、他と結ぼうとする情の熱さが、溶鉱炉のように物語を溶かし、冷やし、凍りつかせる。

 花村萬月との再会果たしたり!

 そんな念が読後に強く感じられた。嬉しく、有難く、そしてあまりにも心の痛い物語に、どうしようもなく揺さぶられる自分を、少なからず、ずしりと感じさせられた久々に味わうタイプの花村人間小説であった。

(2021.08.01)
最終更新:2021年08月01日 12:31