悪魔には悪魔を





題名:悪魔には悪魔を
作者:大沢在昌
発行:毎日新聞出版 2021.4.25 初版
価格:¥1,800



 かつて作家志望だったぼくは学生時代にある長編作品を書いた。ひょんなことから主人公は、自分そっくりのある人間に成りすますことになり、別の人生に引っ越しを遂げる。しかし自分じゃない人間として生きることの難しさを感じて次第に追いつめられてゆき思いがけない結末を遂げるのである。ミステリ&恋愛小説仕立てのアクロバティックな物語だった。もう原稿すら存在しないのだけれども。

 本書は、行方不明になった麻薬取締捜査官である双子の兄に成りすまして、本人失踪の真相を追ってほしいという依頼を受けた主人公の物語である。二十年前から兄に会っていない弟は、アメリカで兵隊になり米国籍を取って両親の墓参りのために一時帰国したところで、この運命に遭遇するのである。二十年も会っていない弟は、兄の現在を全く知らない。

 兄の知人や事件関係者に多く出くわしつつ、兄のふりをして、なおかつ失踪事件の真相に迫ってゆくというアクロバティックなこの小説の設定に、かつて自分が書いた小説の困難さを完全に思い出してつい同化しまった。

 ぼくの物語と異なるのは、本書は小説作家として経験も実績もあるベテラン作家によるものであり、リーダビリティがまるで違うこと。犯罪社会を彩るブラックかつ個性豊かなキャラクターたちが遊泳する振幅の多い世界であること。怪光に満ちた騙されやすい水槽の中に揺らめく謎の楽しさ。正体を隠すことで味わう緊張感。小説を面白くする並大抵ではない設定が、スリリングとは言え、かなり楽しく多彩なのである。

 登場人物の多さと、警察の中ですら、大阪・東京、マトリ・組対・所轄などと、それぞれの細分化された組織細胞の分子が出没しては対抗し合ったりする上、犯罪組織も大阪・東京、そしてベトナム社会までが絡んで、これらの間をアメリカから一時帰国したばかりの主人公が、兄のふりをして掻きまわす、というおよそ不可能性に挑んではばからない力技小説なのである。

 不自然との酷評も厭わず、この仮想世界にしっかり踏み込み、エンタメ作品として完成させてくれた力技は、さすが大沢在昌とうならざるを得ない。昔から、シリーズ作品には、主人公に寄り添った丁寧な設定と緻密な書きぶりを施すが、単独作品では、どちらかと言えば遊びの多いエンタメ性をたっぷりと盛り込んだ、リーダビリティ重視の物語を用意してくれる二段構えが目立つ作家なのである。

 本書は遊園地や、お化け屋敷や、スピードアトラクションに乗り込み、果敢に楽しもうとする客(=読者)にとっては申し分のないエンターテインメントであるけれど、鮫島や佐久間公や佐江に求めるような堅実かつ長期的視野は、ちと畑違いとなるかもしれない。純粋に、このけれんみたっぷりの娯楽作品を楽しんで頂ければ幸いなのである。

(2021.07.08)
最終更新:2021年07月08日 14:59