白鳥とコウモリ




題名:白鳥とコウモリ
作者:東野圭吾
発行:幻冬舎 2021.4.5 初版
価格:¥2,000




 作者自ら『今後の目標はこの作品を超えることです』との直筆広告。帯には『新たなる最高傑作』。でもアマゾンの評価を見ると、満場一致で迎え入れられている観はむしろない。それだけ評価が難しい作品、と言えるかもしれない。

 東野作品を全部読んでいるわけではないが、『白夜行』のノワール度、『容疑者Xの献身』の情念度が最高数値だとすると、本作はそこに及ぶものでは決してないだろう。むしろ特定の主人公を持たぬ、地味で等身大の登場人物たちによる群像悲喜劇ではないだろうか。人と人がいればそこにあるのは罪と罰なのだとでも言うかのような。

 腕のよい探偵や鼻の利く刑事による切れ味のよい推理によってではなく、もつれた時間、離れた場所、見えない人間関係が、複数の小探偵たちによって地道に解きほぐされてゆく複雑で何層構造にもなった物語、と言ったほうが良いだろう。

 1984年愛知の金融業者殺人事件。2017年現在の墨田区清洲橋の弁護士殺人事件。二件の事件で自首をしてきた倉木という男。前者の事件は第一容疑者の自殺と時効により記録がほとんどなく、後者の事件はむしろ動機が怪しい。疑わしい倉木容疑者を巡って、二つの事件に絡む家族、法律家、捜査官等々の動きのディテールで積み重ねてゆく、錯綜した物語。最初から事件の奥行きともつれをしっかりと感じさせてくれる作品である。

 現代版『罪と罰』と言うには語弊がある。罪と罰とを用いた、飽くまでも二つの事件の真相を追跡するミステリーが縦軸であり、そこに生まれた悲劇、歪められ中傷され苦しんだり、秘密を抱えたりしている人々の過去と現在を描いた人間絵図と言っていいだろう。

 群像小説としての弱点もある。多くの関係人物たちの心のうちまでが十分に踏み込まれていないこと。将棋の駒のように配置された利害関係により構築された多くの人間関係が、四世代前くらいまで遡ることもあるなど把握しにくい。主に過去の事件の曖昧さや関係者の多さがブレーキをかけがちな前半部分は、少しとっつきにくさを感じるところも。それらからやがて抽出され、感情移入ができる主体性のある登場人物は三名ほどに絞られてゆく。

 地道な各人の調査活動から、ラストに雪崩れ込んでゆく収束部のエネルギーは、ある種その分、圧巻であり、この辺りのリーダビリティこそが、東野作品の魅力、と納得させる力は確実に秘められている。

 ラスト。犯人側の殺意についての理由付けに関しては、異論のある方もあろうかと思う。しかし、若い二人のヒーロー&ヒロインの複雑でデリケートな関係と、ベテランの味を見せる五代刑事のエネルギーがたのもしく、暗く粘っこい前半部の鬱屈を吹き飛ばすカタルシスはきっと見事に得られるはずである。

 謎解き小説というよりも、人間たちの感情や関係によるズレや愚かさ、掛け値なしの善意、罪悪感という鎧われた感情、等々。様々な要素をぶつけ合わせた人間ドラマの果て、家族、夫婦、親子、等々、この作者らしいいつもながらの誠実な優しさが救いとなるのではないだろうか。

 ちなみにタイトルは難解。『光と影、昼と夜、まるで白鳥とコウモリが一緒に空を飛ぼうって話だ』という作中の一文なのだが、この言葉は作中にたった一回登場するだけなのである。

(2021.06.26)
最終更新:2021年06月26日 14:59