血の郷愁




題名:血の郷愁
原題:Nostalgia Del Sangue (2017)
著者:ダリオ・コッレンティ Dario Correnti
訳者:安野亜矢子訳
発行:ハヤカワ文庫SF 2019.6.20 新訳
価格:¥1,194


 ホラーかバイオレンスを思わせるような扇情的なタイトルに見えるが、実は主人公のベテラン記者マルコが人生で殺人事件ばかりとつきあって来て、そのことをいつも誇りに思っていることから、引退を迫られている現在の境遇に直面して、血まみれの事件が懐かしく思われるだろう、そうでなければ空虚だと感じていることを表わしている。相棒のインターン記者であるイラリアが、それを聞いてマルコの事件記者人生に、また自分の進むべき道への想像の中で何度となく思いを馳せるのだ。

 事件は18世紀に実際に起きたイタリア最初の連続殺人事件が原題に模倣され蘇る。カニバリズムを思わせる残酷な死体が夜のミラノに連続して投げ出される猟奇殺人である。本来これを追うのは警察組織であるのに、本書の主人公は新聞記事を書くことを仕事とする二人の記者である。現在日本の映画館を席巻している映画『新聞記者』からもわかるように、時には警察を先取りして事件の真相に迫る<ブンヤ>が存在する。

 とはいえ記者を主役に据えたミステリが多いというわけではない。ましてやその記者に生活感と個性を持たせ、人生を抱えさせ、作者が強い愛情を注ぎ込んで存在感を強烈に浮き立たせる小説は、そう多くはないと思う。その意味で本作は稀有と言える。事件そのものより、むしろ二人の記者の日々が活写されていることが相当に魅力なのだ。

 マルコ・ベザーナは絵に描いたようなベテラン記者。性格的に強いとは言い難い。妻に浮気され、自分も恋のアバンチュールで痛い目を見る。一方的に愛情を注ぐ息子は彼に寄りつこうともせず、話もろくに聞いてくれない。社内では、ライバルの活躍が目立ち始め、上司から引退を迫られ、その中でこの最後かと思われる事件に対しては特別な想いがある。執念のブンヤなのである。

 一方、インターンの女性記者イラリア・ビアッティは、少女期に母が父に殺害され過去を持ち、それがトラウマになっている。いわば被害者家族かつ加害者家族として、殺人事件そのものに深く運命的に関わったしまった人生を強制されているのである。しかし事件記者の仕事に初めて取り組みつつ、強制ではなく自分で選んでゆく人生を彼女は、取材行動を通して見出してゆく。何よりも孤独なオヤジ記者であるマルコの優しさや厳しさに仮想であり理想である父を見ているみたいに。

 イラリアは本来は素敵な若い女性なのに、大きな丸眼鏡をかけてジャージ姿という野暮ったい恰好で仕事に出てくる。それでいながら仕事っぷりは天才的で、妙に鋭い観察眼を持ち、勘もよく、何度もマルコに新しいヒントを投げかけては真実の方向に誘導する。この新旧デコボココンビのやりとりが何ともおかしく、暗く残酷な事件を主題としつつも、明るいコメディを読んでいるようにほっとしてしまう。

 マルコの優しさとイラリアのかわいらしさ。どちらも一見したところでは見出しにくい長所だが、小説につきあってゆくうちに、彼らの魅力に読者は絡め取られてゆくに違いない。少なくともぼくは見事に吸い寄せられれしまった。やはり小説は、魅力ある人間を作り上げることが一番読者の心に訴えかける、と従来の認識を新たにした次第。

 ちなみに作家は二人の男女作家のペンネームである。覆面作家ということだ。彼らはミステリ畑ではないという。なるほど。それにしてはミステリとしての謎解き、ミスリード、DNAを初めとした科学捜査に関わるトリッキーな仕掛けなども見事である。そして何よりも嬉しいことにマルコ&イラリアの記者コンビの続編が期待できそうである。彼らとの再会が待ち遠しいばかりだ。

(2019.07.18)
最終更新:2019年07月18日 11:02