刑罰




題名:刑罰
原題:Strafe (2018)
著者:フェルディナント・フォン・シーラッハ Ferdinand von Schirach
訳者:酒寄進一訳
発行:東京創元社 2019.6.14 初版
価格:¥1,700

 750ページ越えの長編を読んだ後、15ページ平均の短編12作が入った本作品集に取り組む。優れた長編小説はいくら分厚くとも読み進めてしまえる。逆に優れた短編集は、短いからと言って中身がスカスカというものではなく、むしろ長編にはないずしりとした重心を感じさせるものだ。すらすらと読める文章でも立ち止まり文章を味わう瞬間も多々生じたりする。

 現在、短編小説における私的ベスト作家は、このシーラッハである。補足するなら作家の本業は弁護士である。さらに言えば、ナチ党指導者の一人ギョール・フォン・シーラッハの孫である。この出自が作品や仕事に影響を与えているかどうかは、全くわからない。読者としては無視してよいし、弁護士として、また作家としての彼の人生を想像してもよいだろう。

 ともかくぼくは、彼の新刊が出る度、作品世界に導かれるのが待ち遠しく、一作一作を、ページ毎、否、一行毎に、味わってゆく。短く端的に出現してゆく文章。そこに描かれた個性的な人間模様。それらを読んでゆく時間は、いつもとても貴重で、代え難い体験となってゆく。そう。読書の充実を、短い短編の中で感じ取ることができる、その希少な手腕こそが、この作家の魅力である。

 作家が、ドイツの裁判を通して関わってきた実際の事件に材を取り、普通の人間が人生を思いのままにならず、巻き込まれたり、逆に誰かを巻き込んでゆく様子を、小説として綴る。俗にいう法廷ミステリではなく、犯罪を犯したり巻き込まれたりする人間の悲喜劇を、ある距離を置いた特別な視点で描いてゆくものである。

 本書は『刑罰』というタイトルなので、それを念頭に各短編を楽しんだのだが、後で本についている帯を見ると、「罰を与えられれば、赦されたかもしれないのに」「刑罰を課されなかった罪の真相」とあり、ああ、すべての主人公は法律上の刑罰を与えられていなかったのだ、と後から気づかされた次第。

 どこかアイロニーに満ちた人間ドラマに満ちた作品集、と思いつつ読み終えたものの、そういうテーマで統一されていたとは気づかなかった。振り返れば、なるほどと思うことばかりである。法廷で本来与えられる刑罰を様々な理由から受けることなく、よって収監されることもなく、日常が続く。しかしその日常は、それまでと同じものではない。衝撃と驚きに満ちた結末が待つ、完全性の高い作品ばかりである。

 一ダースの物語。それでいて凡百の長編作品を軽く凌駕してしまう一冊。濃密な圧力を秘めた10ページ余のそれぞれの小説。この一冊の本による不思議体験を味わいたい方は、是非、手に取って頂きたいと思う。シーラッハ未読の方は、本書に限らず是非彼の本を体験して頂きたいと思う。小説とは量ではなく質である。そんんなことが、今までよりずっと明確になることだろう。

(2019.06.25)
最終更新:2019年06月25日 11:49