もつれ



題名:もつれ
原題:Entanglement (2007)
著者:ジグムント・ミウォシェフスキ Zygmunt Miloszewski
訳者:田口俊樹訳
発行:小学館文庫 2018.12.10 初版
価格:¥970

 読んでいる本と自分の過ごす季節がシンクロしていると気づくと少し得をした気分にはなりませんか? ぼくは、自分が関わろうとする物語と自分の生きる時期が同じである方が、いろいろなものごとが入ってきやすいように感じる。物語との出会いという偶然性に、ほんの少しだけ神秘を感じたり。そう、勝手にね。

 本書はこれを書いている6月第三週くらいの物語である。ただし、舞台はポーランドの首都ワルシャワ、時代は14年前の2005年……1989年民主化の16年後の物語。ぼくのいる2019年の石狩郡当別町とは実は相当に遠い次元の物語ではある。しかし季節の動きや気温は我が北海道と似たり寄ったり。なぜかこの小説には日が変わる度に、その日のニュースや天候や気温が記されるのでそれがわかる。検死官テオドル・シャツキ三部作の個性の一つと言ってもいいかもしれない。

 シャツキが古い事件を図書館で調べるシーンで、その日のニュースを読み返すシーンがあり、そこで、ああこのニュースはシャツキの眼に映ったものなのだ、と類推される。しかも作者はジャーナリスト上がりだ。新聞記事との日常的な繋がりは、作家の目線にそれが変わっても捨てることのできないものなのかもしれない。テーマとなるミステリだけではなく、本書ではシャツキの脳内現象や、感情の移ろいが語られる部分が相当に多い。ミステリの謎解きにしか関心のない読者にはさぞかし辛く長い試練の時間となるかもしれない。

 しかし民主化後わずかに16年。秘密警察時代の影はわずかながら深く生活に刻まれ、ポーランド国民は、ナチスとソビエト支配からの自由をまだ自分のものとして身に纏えていない。何よりも作品自体が黒い影に凝視されている中で、シャツキは事件を追い、検察官という公務のかつかつな生活の中で、希釈されつつある弁護士の妻との愛情への危機と、近づいてくる女性記者への欲望に身を焦がされながら、読者らと等身大のアンチヒーローのページを紡いでゆこうとしている。

 さてミステリとしての仕掛けだが、実はこれが凄い。心理療法を受けている限られた5名の登場人物による初めての二泊三日のセラピーが事件の場となる。各人には何のつながりもない。焼き串を眼に刺され脳に至る刺傷で死に至った痛ましい死者は、誰に何故殺されたのかがわからない。

 シャツキが真相に至るのは何を以てなのか? 5名の人物たちのそれぞれの関わり合いは? そしてシャツキの私生活はどの種のリスクに晒されるのか? 以上三つのQに対して用意される答えはいずれも、読者の予想を遥かに超越してゆく。巻末に至るまで、読者はシャツキの暗中模索にも似た現在とともに辿る。提示されてゆく真実の多重構造に驚愕するエンディングを楽しむために、それはどうしても必要な過程である。どうか、じっくり最後の最後までシャツキの心の旅におつきあい願いたい。

 さて、シャツキ三部作の最終作『怒り』は先に翻訳されており、好評を得ているそうである。本書は後から邦訳されたものの、三部作の最初の作品である。できれば順番に読みたいという、こだわりのぼくとしては、二作目の邦訳がなされるまでは、その後の『怒り』に辿り着くこと気になれない。なんとも気の長い話だが、性分はなかなか変えることができない。

 ポーランドという邦訳ミステリが十指に満たないかつて圧政下で呻いていた国に、こうして新しい作家によるエンターテインメントが生まれ、そこではポーランドそのものが綴られる。暗黒の過去に葬られた犠牲者たちの叫びを伴って存在する現代の彼我の国の平和や幸福そのものが、どれほど不安定で揺るぎあるものであるかを暗示させつつ進む現代史にさわったミステリとして、是非体感して頂きたいシリーズの、本書は貴重な登場作なのである。

(2019.06.13)
最終更新:2019年06月13日 13:29