白夜の警官 BLACKOUT




題名:白夜の警官 BLACKOUT
原題:Myrknaetti (2012)
著者:ラグナル・ヨナソン Ragnar Jonasson
訳者:吉田薫訳
発行:小学館文庫 2019.03.11 初版
価格:¥770

  読み始めたら止まらないというのも、北欧ミステリの特徴なのかもしれない。本シリーズはアイスランド語から英語に訳されたものを日本語に訳した後、ようやく、ぼくら日本人の手に渡るという経路を辿るが、英訳化した出版社が、何とも頼りないことに、キンドル首位として有名になった作品から英語訳してしまったために、第一作→第五作→第二作と順番を前後させてしまい、シリーズとしての面白さを著しく損ねている。アイスランド語翻訳者が日本では希少なため、英語版からの邦訳となるから、英語圏出版社の通りの順番で書店に出回っているのが現状。作者にとっても読者にとってもそれはとても不幸なことだと思う。

 北欧ミステリに関わらず、シリーズものには大きなシリーズならではのストーリー展開というものがある。とりわけ北欧ミステリは、人物の関連がシリーズの面白さの重要なファクターである。この大きな流れは一作一作の個々の謎解きの中ではなく、全体を通した大河の流れのように、個々の小さなエピソードという川が合流したり分岐したりして作り出されてゆくものだからだ。

 その思いをより強くしたのは、第一作の後、キンドル売上が良く早めに翻訳されたという第五作に先に手をつけることなく、今春邦訳発売されたばかりの本作(第二作)を読み始めてすぐのことである。

第一作における主人公とレギュラーキャスト陣の流れをそのまま受けて、第二作ではそれぞれのその後の物語を紡いでいる。時にそれらは、第二作の主たるミステリプロット以上に重要な、シリーズの根幹に関わる要素となりそうで、さらにこの太い幹は、そのまま読者が甘受すべき本シリーズ最大の魅力であるように見えるからだ。

『太陽にほえろ!』で言えば、マカロニ刑事の登場を観た後に、彼の殉職を知らずして、いつのまにかジーパン刑事の主役物語を展開されてしまうのは酷ではないか? ということだ(いささか例えが古いのは、どうかお許し願いたい)。

 そのくらい、読む順番とは重要なことなので、ぼくは二年も前に発売されているシリーズ第五作『極夜の警官』は、次の第三作、第四作を読むまで待つつもりである。たとえ一二年待たされようとも(宜しくお願いします>出版社&翻訳者様)。

 さて、本書、主人公の若手警察官アリ⁼ソウルは、事件よりも前作より持ち越しの女性トラブルに悶々としている。この辺りのリアリティも本作独自の恰好悪さであり、それがまた良かったりする。土台カッコいいキャラクターなど、このシリーズには一人として出て来ないのだ。いずれのキャラクターも、何かの煩悩に引きずり回され、心理的葛藤を繰り返しながら、人口34万のアイスランドでは滅多に起こらないとされる犯罪の運悪い被害者は、あたかもその狂言回しのように、周囲の人間たちを真実の光で容赦なく照射し、世界を攪拌する。それらの動的に連関した個々のストーリーが実はとても良いのだ。

 毎作毎に、レギュラーキャラが増えたり減ったりするのかどうか、今のところ不明だが、本書ではまさにそういう現象をも作者は示してくれている。シリーズの出だし二作目でこれほど掻き回し、人間たちの距離間を動かしてしまう作家というのは珍しいかもしれない。しかし、むしろそれを売りにするという点で、抜きん出た書き手、と言えるのかもしれない。

 とにかく事件を軸として、人間たちを掻き回す。本書では、新しく極北の街にやって来るイースルンという女性が、まるでシリーズ・ヒロインのような存在感を見せ、事件の解決に対しても、実に重要な歯車の役割を果たす。同時に、ヒーローたるアリ⁼ソウルは、またも人生の重要な選択の局面に立たされる。連作シリーズとしての面白さとともに、白夜ミステリの流れもしみじみと楽しんで頂きたい。特に一作目では吹雪続きだった世界が、2年後の6月初夏を迎え、がらりと環境を変えている。極北の人口1200人の街は、首都レイキャヴィークのように、経済危機、噴火による火山灰大気汚染といった国家的マイナス因子から遠く、相変わらず美しい風景を見せてくれる。

 極北という個性に、ミステリ、そしてそこに生きる人間たちの運命と、絡み合いが、心を釘付けにする物語。次作がとても待ち遠しい。傑作シリーズの一つであると思う。

(2019.05.06)
最終更新:2019年05月06日 23:53