母性




題名:山女日記
著者:湊かなえ
発行:幻冬舎文庫 2016.08.05 初刷 2014.07 初版
価格:¥650



 湊かなえが山女であると聴いてはいたが、この一冊は、従来のミステリとは離れ、完全に山をテーマとして取り組んだ連作短編集である。従来のような一人語りの口語体、手紙文体、メール、SNSのどれでもなく、客観的な普通文体で全編を貫く連作小説集は、最近作は知らないが、ぼくの知るところこれ一冊だけだと思う。

 なので、今だから言うが、この作者が普通に、穏やかな、平易な文章で小説を書けるのかどうかに密かに抱いていたぼくの疑念を払拭してくれたことが、実は相当に嬉しい。殺人も、どろどろの情念も、策略もほとんどなしで、それでいながら普通の人生ドラマを、しっかりとした作品として造形できる人だったのだ。この手の方向性については円熟味を増してゆく今後、この作家に期待できるかもしれない。

 さて、7つの作品は妙高山・火打山・槍ヶ岳・利尻岳・白馬岳・金時山・トンガリロと山の名前だけが描く作品名となっている。ぼくも大抵の山は登っているのでコースその他の状況が想い出しやすかったのだが、トンガリロというニュージーランドのトレッキング・コースだけは不明で、むしろ作品内での描写によって是非辿ってみたくなってしまったのが本当のところ。様々な色をした湖や岩の描写が気になったので、早速ネットで画像を検索。山頂の写真は先住民族の信仰の関係上ネットで公にしてはいけないらしいが、作中に登場するクレイターやエメラルド湖などは確認することができる。

 幻冬舎はハードカバーから文庫化するときに、おまけ作品を一つ付けてくれた。『カラフェスに行こう』というもので、『山と渓谷』に掲載された短編。一線を退いてしまった元登山者であるぼくには、本書では知らないことが数多くあった。山は変わらないが道具、通信手段、情報収集方法、登山をする世代など、多くの変遷があるのには日々驚かされる。特にこのタイトルにもなっている<カラフェス>とは毎年行われている『ヤマケイ涸沢フェスティバル』のことらしく、内容についてはネットで確認することができる。この短編は<カラフェス>
の紹介の意味を持たせたうえでシリーズ中のキャラクターのその後を語る物語となっているわけだ。

 キャラクターたちをつなぐ小道具としてトンボ玉、手作り帽子などが出てくる。女性作家ならではの小道具として美しいだけではなく、物語の伏線の役割を果たすなど、ミステリでなくても楽しめる人間関係の物語でもある。悩み多く卑小な人間と、有無を言わさぬ圧倒的大自然たる山を、対比して是非こんな小説が書きたかったのだろう作者の真意が、いつになく直線的で、大変伝わりやすい力作である。

 追記1:『山女日記』とは作中では山ガールたちの情報発信ブログとなっているようだが、同ブログは実在していない。モデルになったブログがあるかもしれないが詳細は不明。

 追記2:2017年にNHKでドラマ化されているようだが、ネット情報によれば、原作からヒントを得た、山域もストーリーも全く異なる物語のようである。機会があればチェックしておきたい。

 追記3:映画『北のカナリヤたち』(原作『往復書簡』)、演劇『リバース』など、自作原案の登場するのは愛嬌?

(2019.05.01)
最終更新:2019年05月01日 15:19