白ゆき姫殺人事件




題名:白ゆき姫殺人事件
著者:湊かなえ
発行:集英社 2012.07.30 初版
価格:¥1,400



 小説と映画という別メディアが同時に提供される作品も、現代では珍しくなくなった。しかしこの小説は、普通に文芸誌に連載された後、最終章で明かされる真の結末だけは、何とWEB文芸「レンザブロウ」というサイトに期間限定で公開されたらしい。現代のメディア融合という、小説の手法のニューエイジぶりには少し驚かされる。小説を読んで、WEBページがプリントされた本書の最終ページに辿り着いたとき、読者がどう感じるのか試されているのかな、という気分になる。小説の原形に拘る気持ちと、無理をしてでも時代に着いて行こうかとの前向きな気持ちが混在する複雑な自分が。

 本作は、映画化小説の発表の二年後に映画化されている。当時の刺激的なTVコマーシャルは、いかにも今風の派手なものだったが(YouTubeで確認可能)、レビューの方はどちらかと言えば悪評が目立つ。湊かなえの小説は、何らかの形で毒があり、それが読後に苦い舌ざわりとなって残るような部分があるので、すっきり爽やかな読後感は味わえない。キャラクターに多面性があって人間心理の醜い部分、エゴや粉飾などが透けて見えることが多いからだ。

 ましてや主に口語独白体によって描かれるため、手練れた熟練の作家による文芸ならではの上質な文章というものはまず味わえない。むしろ日頃本を読まない大衆を、ミステリ・グランドに引き寄せることを優先して選んだ作風と言っていい。ただ、殺人事件を材料にして構築される作中世界は、その分とても緻密丹念に用意されているから、ぎりぎりミステリーとして成り立たせ、しかもメディア融合というところにまで、手法の翼を広げることができるのだ。

 最終章は書籍においては、SMSやゴシップ週刊誌の報道記事を、文章スタイルではなく、WEBや記事のスタイルでそのままに見せている。これは小説なのだろうか? との声や反撥も無論少なくはないのではないか、と思う。しかし、それでもやってしまうのが、湊かなえという若き女性作家の度胸と勇気と開き直りのようなものなのだろう。前衛小説を代表していた安部公房のような作家とは多分に異なる意味で。

 作家自身のTVインタビューを見たとき、この人は庶民的だなあという印象を持ったものだ。作家の気配というより、その辺のどこにでもいそうな女性という空気感。文学少女の雰囲気は身に纏っていないのだ。だからこの人は最初から小説という形式を逸脱しているのかもしれない。その逆。小説という形にとらわれる必要がない。作品スタイルへの挑戦を、毎作のように試みてしまえるのだ。

 本作は、SNSや大衆小説でのあらぬ噂で混乱してゆく、OL殺人事件の顛末を描いてゆく。無責任な発言者や、非常識なレポーターや、意図的で警戒十分な周囲の人間たちの発言のみで、ページが埋められてゆく。その中で、読者は、事件の真実に近づいているかと思えば、遠ざけられているような印象もまた持つに違いない。人の、千差万別な言葉とは、真実を露わにすることもあれば、逆に隠蔽してしまうこともあるのだ。そんな作者の狙いに何度も足を掬われるようにして、読者もキャラクターたちも、騙され騙され結末に行進してゆく図を作者は執筆前に見ていたのだろうか。

 「白ゆき姫」であり、「白雪姫」ではないのは化粧品会社の石鹸が「白ゆき」であることから。容疑者であるOLの愛読書が「赤毛のアン」であり、夢見る少女としての青春時代。若き女流小説家ならではのそれらの少女趣味はあくまで仮面。仮面を被せられた人間たちの世界に紛れ、実際に描かれているのは、どこまでも暗い、人の心の闇であることは、いつの時代もあまり変わらない。

(2019.4.18)
最終更新:2019年04月18日 13:56