蒼ざめた眠り/「虚国」改題





題名:「虚国」改題 → 蒼ざめた眠り
著者:香納諒一
発行:小学館 2010.03.03 初版 → 小学館文庫 2012.12.11 初版
価格:¥1,800 → ¥733

題名:虚国 → 改題:蒼ざめた眠り
著者:香納諒一
発行:小学館 2010.03.03 初版→小学館文庫 2012.12.11 初版
価格:¥1,800 →¥733

 2010~2012年の頃は、人生の一大転機という諸事情により、新刊本を多く読み残してしまっている。買っていながら何度もの引っ越しによって新旧の棲家を転々とする運命となったこの時期の<積ん読本>を、今になって書棚から取り出して読んでいるのは、現在のぼくを取り巻く新たな諸事情が、その頃の読書ブランクを取り戻す機会を与えてくれているのだ、と思うことにしている。

 本書はハードカバーを2010年に入手し、2012年の文庫化のときには改題されただけの同じ作品と気づかず、二重に買ってしまったものと思う。今回は、タイトルの異なる大小二冊を、取っ替え引っ替え読んでみたが、驚いたのは、この主人公はカメラマン辰巳翔一、何と17年ぶりの復活であったということだ。

 1993年『春になれば君は』は、香納諒一デビュー第三作にして、初期作品群の中で最もぼくのお気に入りの一冊だった。当時から、この主人公が一冊だけで退場するのが勿体なく、シリーズにならないものかと、心から惜しんでいた自分の様子は、その後の香納作品の自己流レビューに『春になれば君は』のタイトルが頻繁に現れることから十分に窺える。余程、気に入った印象深い作品だったのだ。(注:角川文庫版『春になれば君は』は、小学館文庫再版時に『無限遠』に改題)

 だから作品としては17年ぶりの復活、とは言うものの、ぼくにとっては、実はさらに9年後の今、実に26年ぶりの辰巳翔一との再会となるのである。この作品を今になって手に取って、どれほど感激しているか、わかって頂けるだろうか。

 さらに時の経過は、前作でカメラの仕事にあぶれて仕方なく探偵仕事をやっていた主人公を、今はプロパーのカメラマンとして復活させているのである。しかも廃墟専門のカメラマン、愛車ジープ・チェロキーはそのままというところも良い。

 被写体である廃墟とは? 廃墟の持つ影の深さ、交わされたいくつもの追憶の気配、止まったままの時間、背景に水平線。海と太陽と夜明け前のブルー。ページを開いたところから、一行一行を思わず噛み締めるようにして読んでいる自分に気づく。時には何度も読み返したり……。これじゃいつになっても終わらないな、と心の中で苦笑する。

 「未だに写真の話になると、球を真っ直ぐに打ち返すような、そんな生真面目な反応しかできない」ほど、自分の天職としての写真にこだわる廃墟専門カメラマン。そう言えば香納諒一という人も、小説づくりとなると「球を真っ直ぐに打ち返すような」作家だから、本作の主人公ともシンプルに通じ合っているのだろう。こういう設定には、一人称文体がよく似合う。「私」で始まる独特の香納節が。こうであって欲しいというハードボイルドへの渇望を、正当に満たしてくれる作品だ。

 日本中の廃墟を被写体にして旅する主人公。そんな辰巳が訪れたのは、中部と関西の中間にあって起伏が多く、かつ湾の美しい田舎町。シリーズ前作では、つくばエリアをモデルとした新興住宅地を舞台に、新旧住民の間の亀裂などが注目されたが、今回は、おそらく伊勢志摩から南紀に渡る熊野古道周辺の伊勢湾・紀伊半島辺りをモデルとしているらしき地域を舞台に、新空港建設の是非をめぐって対立する地域住民の緊張を背景に、廃墟で起こった殺人事件の発見者として辰巳が巻き込まれるところから物語は始まる。

 中心部の駅付近には、シャッターに閉ざされた店が目立つ古いアーケード街。丘の上には廃墟となった観光ホテル。関わってゆくどの人物もお互いに古い知り合い同士で、余所者は辰巳翔一だけ、という設定は、まるでハメットの『赤い収穫』、黒沢映画『椿三十郎』『用心棒』シリーズそのままだ。日本的な田舎風景をバックに登場したハードボイルド的主人公。さすがに、さすらいのカウボーイというわけにはいかず、実直で、人間的で、カメラのシャッターを切る瞬間に神経を集中するかと思えば、打たれ弱く、遠慮深い面も持ちながら、意地と矜持という熾火は心の奥にしっかりと抱えている。

 彼に関わって来る多くのキャラクターは最初は覚えにくいのだが、本書には、新旧版どちらも登場人物表があるので何度か参照して心に刻みやすく、いずれそれぞれの個性は文章にとっても徐々に奥行きや正体が露わになってゆく。人間たちの群像ドラマのように、それぞれの利害、愛憎、友情、家族愛など、読みどころが多く、もつれ合った無数の糸を、辰巳とその協力者たちが丹念に解いてゆく様は、エンターテインメント性抜群の読みごたえを醸し出してゆく。

 間違えて二冊買ってしまった本だが、ぼくにはどちらも捨て難い。ハードカバーは、香納諒一作品のほとんどがそうなのだが、装丁が素敵なのだ。永久保存したくなるようなデザイン。一気に並べると壮観だし、愛蔵版であり、作者のみならず読者の歴史に重なる。

 文庫本にはさらに捨て難い理由がある。関口苑生の巻末解説だ。喧嘩別れして以来何十年も会っていないが、ぼくが若い頃、さんざん酒食・ねぐら・海水浴・スキー、もちろん日々の読書に無数のアドバイスを頂き、お世話になった人物である。気難しい一触即発の頑固者である。彼のプロ解説者としての実力と凄みは今更言うことでもないのだが、実はこの巻末解説で強烈に再認識させられた。

 <この作品のラスト一行と辰巳翔一シリーズの前作『無限遠』のそれとをぜひとも読み比べてほしい>

 朝から書棚を掻き回して、ぼくは『春になれば君は』を探し当てる。最後の一行に眼を凝らす。思わずぶるっと震えた。関口苑生への尊敬の念が瞬時に復活し、彼と過ごした時間の追想に切なさすら覚えつつ。そして香納諒一が、とても粋な作家であることを再認識しつつ。じわりじわりと、ぼくは新しい朝陽の中で、古い絶版本も含めてこの三冊の本を抱きしめたのだった。

(2019.4.17)
最終更新:2019年04月18日 00:28