蒲生亭事件






題名:蒲生亭事件
著者:宮部みゆき
発行:毎日新聞社 1996.10.10 初版
価格:¥1,700-

 二・二六事件が、テーマだ。二・二六事件と言えば、大宮白鳥座の大画面で観た映画『動乱』が印象に強い。その映画では、高倉健が青年将校を、吉永小百合がその恋人を演じたが、憲兵という複雑な立場を演じる米倉斉加年、永田鉄山を斬撃する相沢三郎中佐を演じる田村高廣の存在感も強烈であった。その二・二六事件が本書の物語の時代背景となり、舞台となる、当時のミステリと完全に思い込んでいたぼくは、ページを開いて間もなく呆気に取られることになる。
 何と、この作品は、タイムトラベラーものなのであった。現代に生きる18歳男子の主人公が、あることがきっかけで二・二六事件の起こる夜に時間移動してしまう、という反則技もいいところの小説。そう、主人公がどこにでもいる平均的で、勉強も大してやっていないから、二・二六事件の内容や戦争に傾いてゆく時代背景さえ全くわかっていない現代っ子なのだ。そしてこの点こそ、本作品の味噌なのである。
 本書は、実は読みそびれていた一冊でもある。ぼくに書店で買われてから、6度の引っ越しを経て、ずっとぼくとともに移動を続け、今現在、北海道のとある丘の上にある我家の書棚に収まってなお、未だに読まれることなく眠っていた一冊。本書は前述のとおりタイムトラベルものなのだが、今こうして手に取ってみると、自分もまたこの本を通して、作品が書かれた時代にタイムスリップしてきたみたいな気になる。ちなみにこのハードカバーをアマゾンで買おうとしても検索にヒットしない。いくつかの形で文庫化されたものだけが、市場に現存する。そういう意味では旅を続けたこの本は貴重な存在と言える。
 さて、もう一度言うが、これは23年前の1996年に出版された本である。物語のスタート設定はさらにその2年前の1994年。さらに作品のその時制から、主人公はタイムスリップして二・二六事件当時の1936年2月26日に飛んでしまう。つまり読者であるぼくが生きている現実の時間も、ストーリー内を生きる主人公の現実の時間も、超えて、物語は1936年の2月に起こることになるのだ。読書そのものがそもそも時間旅行的な体験であるということに、ハタと気づく。何だか、めまいがしてくるけれども。
 タイムスリップを起こさずに二・二六事件を背景にした当時の人だけにやるスリラーだったとすると、本書は完全に別のミステリー作品に仕上がるだろう。別の事件として。別の物語として。しかし、本書はタイムスリップという仮想の条件を加えた物語なので、通常のミステリーとは完全に袂を分かつ。事件の性質もそういうSF的趣向を加味して対処することになる。
 SFはちょっと苦手だという方にも楽しめるのは、歴史の勉強が不十分な現代の若者の眼を通して、2月26日の戒厳令の夜を凄し、雪降る帝都を歩き回れるということである。その時代の人からの視点ではなく、現代の平和ボケした脳味噌とそこから直列に繋がった若者の眼差しとで。
 なぜ作者はこんな手法をこの歴史的大事件に使ったのだろう、という疑問に曝されながら読み始めたぼくは、いつかその意味を理解し始める。現代との対比的な形でこの事件を見る少年の視点は、戦無世代の作者を含めて、今これを読むぼくらの視点でもあったのだ、と。避けられなかった戦争と、多くの犠牲の歴史とを、エンターテインメント作品を通して改めて捉えることが狙いでもあるのだと。
 アニメ映画『君の名は』は、この作品が書かれた当時には無論なかった。想起される破滅と、これを避ける行動、という意味ではアニメ映画でははっきりしているが、もう避け得なかった戦争は結果を覆すことができない。だからこそ、こんな形で再現するしかなかったのだろう。宮部みゆき流話法をそういう意味付けで楽しんでもらえれば有難いところである。
(2019.4.4)
最終更新:2019年04月04日 17:52