絵里奈の消滅



題名:絵里奈の消滅
著者:香納諒一
発行:PHP研究所 2018.9.28 初版
価格:¥1,800-



 『絵里奈の消滅』再読。昨秋、本書を読み終えて、この主人公にとても好感を抱いた。刑事を辞めて、新宿で「金で頼まれたことを請け負う」ことで生計を立てている孤独な一匹狼・鬼束啓一郎。ノンストップの探偵小説として楽しく読み終わってのだが、その段階でこの作品が『熱愛』の続編であることを知った。半年も経った今頃になって、改めて書棚から捜し当てた『熱愛』を開く。未読であることに今更ながら気づいた。鬼塚啓一郎がどんな人間であるのか、彼の身に何が起こったのかを、『熱愛』では、改めて深く知ることになった。その勢いで、もう一度、本書『絵里奈の消滅』を読み直す。前回と同様、やはりストーリー展開が面白く、一気に読めた。

 凝ったストーリーであるが、探偵が掴んだ真実には、ある家族に起こった長い物語が眠っていた。それはひどく屈折した物語で、光を浴びる人間がいる一方、弱い命が蹂躙されているかもしれない非情なる家族史である可能性が高まってゆく。先日、家族から捨てられ、あるいは家族から逃げてきた少女たちの、実際にあった地下生活をモデルにしたスウェーデン・ミステリ『地下道の少女』を紹介した時、追記として、本書と通底する怖さを感じた、と書いた。存在そのもの、生まれてきたことすらなかったことにせねばならない状況とは、改めて本書を読み直したときに、非常に怖いものだ、と感じた。

 本書は、調査を通じて知り得た真実を、鬼束啓一郎が探り出しつつ、何とか救い出そうとしつつ、手の届かない闇の中で、どこまでもあがき、闘い、向かい合って救いを求める物語である。一度目に読んだときに、このアンチ気味なヒーローに共感と魅力とを感じたつもりだったが、『熱愛』を改めて読んでみて、彼の負け犬としてお経歴とそこからの再生に立ち会うことができた。本書では、探偵の側は、過去の傷口を時に刺激されつつも、かなり心の平和は取り戻し、現在と向かい合う姿はとても頼もしく見える。

 素早い行動力、瞬時の決断力、様々な会話での判断力、いずれにおいても刑事時代に培ったのであろうスキルを前面に駆使して、闘うべき対象を見極めようという強い意志を伺わせる。何よりも警察組織の限界を超えたところで、個人でなければできない強みをわきまえ、時にはこちらが心配になるほどの意図的な暴走もやむなしとする。刑事警察の処罰を待つのではなく、引っ掻き回すことで何かを起こす、というハメット型ハードボイルド・ディテクティヴ・タクティクスをやってのけているのである。

 一人称文体も8年前の『熱愛』に比べ、こなれていて、テンポが良い。いつの間にか主人公は煙草もやめている。ただし、関係する刑事たちも、ヤクザも、協力者たちの顔ぶれも、前作とは全取り換えである。前作に登場する人は誰一人見当たらない。作者にとっても主人公にとっても、一時代が過ぎ去ったということであろうか。間が空き過ぎたかに見えるシリーズ二作を読み比べると、このヒーローの内なる変化への興味は尽きない。

 前作では、鬼束は、「金でたのまれたことを請け負うよう」な仕事で生活しているが、探偵などというものではなく、「この街の誰彼と同じ卑しい人間」と自分を称していたのだが、本書では、助け出した少女に向かって、自分の職業を私立探偵と、ぼくの知る限り初めて口に出している。鬼束啓一郎が、次にいつ、ぼくらの前に姿を見せてくれるのかわからないが、次回は再読の必要なく、この愛すべき一匹狼の顔を想い出せるよう記憶に留めておきたいと思う。

(2019.3.13)
最終更新:2019年03月13日 18:57