それまでの明日



題名:それまでの明日
著者:原尞
発行:早川書房 2018.3.15 初版
価格:¥1,800-

 こんなに長い間待っていた作品は他にない。

 外れのない正統派和製ハードボイルドの書き手による、シリーズ長編第5作。前作から実に14年。時に書けない時もあったろう。書けなかった事情もあったろう。そもそも一行一行に重みのある文体である。正統派チャンドリアンを自称する作家である。簡単に軽い作品を量産されても困るが、こんなに待たされるのはやっぱりやきもきする。だから新作が出るぞ、という噂だけで、ぶるっと震えた。

 1988年に『そして夜は甦る』で、驚愕のデビューを果たした。その後、第二作『私が殺した少女』で当然のように直木賞を受賞。短編集『天使たちの探偵』を挟んで、次の長編まで5年のブランクがあって『さらば長き眠り』、次は9年のブランクを置いて『愚か者死すべし』。そしてその後は、14年の沈黙であった。

 すべての作品が、西新宿の古ビル二階を根城とする探偵・沢崎のシリーズであり、フィリップ・マーローの如く一人称でのハードボイルド文体を、絶対の特徴とする。姓はあるが、名は与えられていない。シリーズ常連のヤクザ、常連の刑事などが、たいてい登場しては、火花の飛ぶようなやりとりを交わす。依頼された仕事の奥深く、沢崎は闇の中に単身乗り込んでゆくことになる。事件はたいてい錯綜して、見た目通りではなく、裏また裏のあるプロットである。アクションよりも、調査で複雑な事件を紐解いてゆくタイプの、いわゆる正統派私立探偵であるが、生きる姿勢はタフでハードである。

 本書では、依頼人は一度の面会を機に、何と行方不明になってしまう。依頼人を追う沢崎は、金融会社の強盗事件に巻き込まれる。攪拌された新宿の街では、それ以降、男たちや女たちが奇妙な動きを見せる。沢崎はあちこちを突つき回り、真実を炙り出す。

 さすがに、沢崎も日産ブルーバードにはもう乗っていないが、携帯は相変わらず身に着けず、電話応答サービスを使っては、馴染みの交換手と声だけの交流を持つ。孤独な探偵・沢崎、健在なり。一ページ一ページが愛おしく思える、そんな完全性を持つ文章を、しっかりと読み進めてゆく。読書の歓び、ここに極まれり! 成熟したペンが生み出す情感は、他にはあまり見られない類いのものである。

 この作品のラストは、大変衝撃的である。ああ、そうだったか。この年だったか。思い当たる現実世界のできごと。そしてなぜ本書がこの時期、この季節に出版されたのかがわかった。なので、ぼくは、出版から一年も経つ今頃になってのこのこと、この日この月に、本作品をレビューすることに決めたのだった。

 多くは語るまい。魂が震える作品である、とだけ言っておこう。

追記:当然のように本作は『このミス』の一位作品となりました。

(2019.3.11)
最終更新:2019年03月11日 15:10