地中の記憶




題名:寝た犬を起こすな
原題:Saints Of The Shadow Bible (2013)
著者:イアン・ランキン Ian Rankin
訳者:延原泰子
発行:ハヤカワ・ミステリ 2017.5.15 初版
価格:\2,300-

 スコットランドを舞台にしたこのシリーズは四半世紀前から書き継がれたものとなるが、ぼくがジョン・リーバス警部シリーズに出会ったのはここ一二年である。最近はハヤカワ・ポケミスを軸に、海外の小説を読むようにしている。何より翻訳が早いのと、受賞作や話題作や鉄板シリーズ作を中心に出版してくれる、実に安心できる版元だからだ。

 ちなみに、ぼくがパソコン通信NIFty Serveの冒険小説フォーラムに入る少し前、早川書房ではロバート・B・パーカーを招き、その社屋にてぼくの前々SYSOP小城則子さん中心にフォーラムの有志が作家と出会い、挨拶をし、愛読書にサインをもらうなんて活動をやっていた。ぼくがSYSOPを引き継いでからも早川書房ではエド・マクベイン来日の折りに同じ機会を与えてくれた。ぼくは当時、新刊だった『ララバイ』と『ダウンタウン』にサインを頂き、マクベインその人の隣に座って片言の会話をして握手を交わさせて頂いたものだ。

 海外ミステリの読者は読書界全般から見ればとても少数の範疇に属する者だとは思う。しかし、そうした少数ながらも根強いシリーズ読者へのサービスを怠らず、個性を守り続けている早川書房のような出版社の存在を常日頃有難く感じている。ましてや、本シリーズのように新しい一冊を手に取ったところからそのシリーズ主人公に惚れ込んでしまう、ぼくのように反応の遅い読者もいるわけで、地道にシリーズを続けてくれる姿勢にもまた感謝。四半世紀も続いているシリーズとなると、当然、最初から読み始めた読者ばかりではなく、途中から参加する人、作者の死後にシリーズに取りかかる人だっているわけで、それはそれで、時代と作品のずれ、それぞれの人生のどこで作品と出会ったか、などなどの要因こそが、読書に独特の風味や出会いの妙というものを加えてくれるものではないだろうか。

 さて、閑話休題。前作『他人の墓の中に立ち』では敵対関係にあった内務調査官のマルコム・フォックスについてだが、実はそれに続いて『偽りの果実』に取り組むまで、彼が別シリーズの主人公になっていることをぼくは知らなかった。遅い読者の損なところだ。本作では、何とフォックスは内務調査(刑事が刑事の違法行為を取り調べる部署で、作品内では苦情課となっている)を離れることになるが、その最後の仕事として、三十年前の今はなきサマホール警察署での殺人事件の真相を調べることになり、そこに途中から在籍していたリーバスと組んで当時の刑事メンバーたちの不正に協力して当たることになるというのは本書の軸となるストーリーである。サマホール警察のチームたちの間では、当時、少々荒っぽいことをしてでも捜査を進めるのが当たり前とされていたらしく、彼らはいくつもの秘密を抱え込んでいるように見えた。彼らは自分たちを<裏バイブルの聖人たち>と呼び今は年齢を重ねそれぞれに刑事職からは引退したり転職したり死んでいたりする。<裏バイブルの聖人たち>は、実はそのまま本書の原題となっている。

 英国からのスコットランド独立の是非を問う投票が行われるという時代背景のもと、スコットランド特有の歴史に触れつつ、作者はリーバスとフォックスと女性捜査官シボーン・クラークのトライアングル捜査陣がそれぞれに活躍してゆく姿を捜査模様を通して活写する。人間性をもかなり掘り下げながら、捜査手法の個性を明確にして、時にはぶつかり合い、時には離れ去り、その駆け引きや徐々に深まってゆく信頼やリスペクトといったデリカシーな心理描写もまた味わい深い。

 捜査は進むが、あくまで内容は刑事ジョン・リーバスの生きざまが魅力的であり、古くからのハードボイルド読者の心をくすぐる。いくつもの事件と取り組みながら、徐々にすべてがある方向に収束し、そして都会の持つ光と影の中で、またスコットランドと英国との関係が再編成される中で、それぞれの人生が変化を遂げつつ、物語が進んでゆく様は、読者にとってたまらなくドラマティックである。

 定年を迎え警察に再就職したが所属部署の上司と間でいざこざが絶えないリーバス。かつての上司リーバスより上の立場に入れ替わりながらも信頼関係は揺るぎもない優しきシボーン。慣れぬ犯罪捜査課に異動を命じられながらも切れ味のあるフォックス。それぞれの性格と立場を移ろわせながら、シリーズは次の展開を待ってゆく。これぞシリーズ・ミステリの醍醐味である。三人の男と女の次なる活躍に乞う、ご期待!

(2018.1.31)
最終更新:2018年01月31日 13:39