ラプラスの魔女




題名:ラプラスの魔女
著者:東野圭吾
発行:角川書店 2015.5.15 初版
価格:\1,680-



 理系出身のミステリ作家として科学ミステリを売りにしていなければこのネタはどうなのだろう。かと言ってレビューでそれを明らかにするわけにはゆかないので、是非あなたも検証してみてください。ミステリのネタとしてこれが有りなのか? また殺人の方法としてこのネタはアリなのかを。

 そういう意味ではミステリファンからの目線は厳しいかもしれない。でも『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のようなお伽噺的世界も書く作家としての免疫が読者側にできていれば、それも有りなのかもしれない。

 物語というのはどこまで風呂敷を広げてよいのだろうか、というところまで考えさせられる、いわば限界ネタというところが問題だし、その限界ネタだからこそこのような物語性が生まれるのであり、その向こうに見据えた人間というものに対して作者が優しさと同時に、ただの原子といった科学的冷徹さも仄めかしている辺りが、本書の好悪の判断の分かれ目となるのかもしれない。

『パラドックス13』や『プラチナデータ』など、そもそも既成のミステリー作家から少し一歩ずらしたところに着想を得た「SF的な」作品もそもそも得意とする作家であり(もちろん『天空の蜂』のような冒険小説まで歩幅をずらすことのできる作家なのである)、本書程度の着想をミステリに落とし込んだ小説でも、凡百の作家のようなキワモノにはならず踏みとどまっている辺りは、東野圭吾たるところだと思う。

 加賀恭一郎シリーズのような庶民の足の影を踏み歩くような作品とは少し離れて、物語ありきといった醍醐味を味わう向きにはよろしい作品なのであろうが、人間というテーマに向き合うには少々納得しかねる部分が残ったというのが、ぼく個人の感想である、としか言いようがない。

 ちなみに冒頭の、次々と視点を変えつつ読者を引き込んでゆく導入部、そしてそれぞれのキャラクターが立って命が吹きこまれてゆくあたりは流石、としか言いようがないのだが、いささか拙速に過ぎた感のある始末部分についていろいろと言いたいことが残る作品であったように思う。ネタバレになるのでその辺りは触れないでおくことにしよう。読者の目線でそれぞれにご評価いただきたい部分である。思わせぶりと言われるかもしれないのだが、むしろそこを作者が狙った小説であるかもしれないので、ご理解あれ!

(2017.1.27)