象牙色の嘲笑



題名:象牙色の嘲笑
原題:The Ivory Grin (1952)
作者:ロス・マクドナルド Ross Macdonald
訳者:小鷹信光・松下祥子
発行:ハヤカワ文庫HM 2016.4.15 初版
価格:\1,000-


 ロスマクは読んでいなんだ、と言うと驚かれる。チャンドラーのマーロウものとハメットのスペードものは網羅しているのに、ロスマクまで歴史を追えないうちに、早くもジェイムズ・クラムリィ、ジョー・ゴアズ、ロバート・B・パーカー、アンドリュー・ヴァクス、ウォルター・モズリィなど、自分にとってのリアルタイム・ハードボイルドを追うことで忙しくなってしまったのだと思う。

 なのでここに来て恥ずかしながら初のロスマク。これもきっと小鷹信光さんの最後の仕事と知らなかったら、そしてハヤカワがハードボイルド翻訳家の旗手である小鷹さんをしっかり追悼するかのようにこの本を新訳再版で世に出してくれなかったら、ぼくはこの作品を読まずにあの世に行ってしまったに違いない。

 チャンドラーをなぞるかのようなレトリックと減らず口の探偵リュー・アーチャー。その中でも凝ったメタファーの多い作品として知られるロスマク初期の名作であるらしい。英国詩人コールリッジの学術論文と同時進行で書き上げた小説ということらしいが、初期矢作俊彦や村上春樹が参考にしたかもしれないほどに丁寧な文章で綴られた宿命の女(ファム・ファタール)ものである。

 そして凝りに凝ったプロットは、男女の交情のすれ違いやちょっとした運命のすれ違いによる悲劇を秘めながら、失踪したメイドを追う事件が殺人事件に発展し、一方で行方不明のままの独りの青年の存在を浮き彫りにする。事件の背後を調査するアーチャーの前に次々と紐解かれてゆく人々の情念の複雑な構図。伏線が各所に巻き散らかされながら、思いもよらぬ結末の鮮やかさに、ロスマクの巧さが光る。

 なるほど、チャンドラー、ハメットと並び称されたハードボイルド三人衆の一角であるわけだ。時代の品格、文章の流麗、文学的開拓者としての風格を備えた、まるで見本のようなハードボイルドである。小鷹信光氏の最後の切れ味も存分に見せて頂いた思いである。

(2017.1.15)