霧(ウラル)




題名:霧(ウラル)
著者:桜木紫乃
発行:小学館 2015.9.29 初版
価格:\1,500-


 この作家に出会って良かった、と思えるのはこういう作品を読める幸せをつくづく感じるからだ。読書の歓び、ということを思うときに、いつも、凡人には書けない熟達の文章による、個性的な世界構築がなされた独自な物語、といったところにぼくの希いは着地する。それらをしっかりと満たしてくれる作家は、実は海外には多いけれど、日本国内にはさほどいない。たまにいたとしても優れた作品の歓びを毎作提供してくれる作家はさほど多くはないように思う。

 日本の文芸は優れたものであったのに、それが大衆小説になった途端読みやすいが、その品格は失われていったのだと思う。無論その壁を突破し異彩を放ってくれる娯楽作家はいないわけではない。しかしその数は圧倒的に少なく、物語は漫画化し、劇画化し、お手軽な通勤通学小説といったものに堕している傾向があり、目の前の売り上げを求める出版社の矜持ももはや絶滅危惧種ほどに見つけることができない。

 そんな文学世相だからこそ、このような作家の出現に救いを見出すことができるのである。文章力という一点のみ取り上げると、花村萬月、高村薫以来の逸材ではなかろうか。さほどに文章の力、表現技巧といったもので読み進む作品をものする力に現代には廃れた傾向のあるプロフェッショナリズムをしっかりと感じさせてくれる。希少な作家の作品はこれからも遅まきながら読み続けてゆきたい。

 本書は、戦後から昭和30年代の終わりにかけての、北方の街・根室を舞台にしたノワールである。主人公は地元名士の家に生まれた三姉妹の次女でありながら、自ら家風に背き花街に働いた挙句、あろうことか裏社会を率いる男の妻となり、北方領土を目の前にした根室の緊迫した政治経済に深く関わってゆくことになる骨太の物語である。

 『極道の妻たち』など一連の宮尾登美子作品を想起させるかもしれないが、土佐の女を主として描いた宮尾作品に対し、国境の街根室に材を取った本書は、いつもながらの桜木道東ワールドの延長として全く別のものとして捉えた方が良いと思う。やくざ映画に加工できないこともないとは思うが、本書は文章こそが命であり、表現力(ストーリーテリング)こそが読みどころである。

 桜木紫乃という作家は、小説の眼のつけどころが常々変わっているなあと思うのだが、本書は根室という半島地形、北方領土、漁業権、戦後復興の時代性など、常々真向ストレート勝負でその暗黒部分や、その舞台裏の女たちの生きざまを肝を据えて記した正統派ドラマである。国後島生活者たちの戦前戦後を語る部分は『凍原』の樺太引揚者の描写と共鳴する。作家が眼を向ける北方の戦後史が生み出す暗黒劇の鬼気迫る迫力を是非味わって頂きたい。

(2017.1.13)
最終更新:2017年01月14日 10:30