悲しみのイレーヌ



題名:悲しみのイレーヌ
原題:Travail Soigné (2006)
作者:ピエール・ルメートル Pierre Lemaitre
訳者:橘 明美
発行:文春文庫 2015.10.10 初版
価格:\860-

 何とあの大逆転作家にしてフレンチ・ミステリの新星、ルメートルの本作はデビュー作にして、カミーユ・ヴェルーヴェンの初登場作である。ヴェルーヴェンは、『その女アレックス』に登場して、おそらく記憶に留められたであろうキャラクターである。何と身長が145㎝しかないという身体的特徴が際立っていながら、非常にやり手の殺人課警部である。

 四作目に当たる『その女アレックス』に続いて、二作目の『死のドレスを花婿に』が文庫邦訳(単行本では既に邦訳済み)され、立て続けに本書と、ミステリーではないが『天国でまた会おう』が昨2015年に邦訳されている。注目度抜群の作家が日本への進撃を開始したと言っていい。

 それにしてもこれまでの二作で、あまりの逆転劇ぶりに驚き呆れた読者も、まさかデビュー作でしかも邦訳第三弾で、同レベルで超のつく逆転劇をやってくれることはないだろう、そんな姿勢で臨んだ本書だが、二度あることは三度ある、この作家はやはり凄かった。いつも読者としては手玉に取られる感を否めないのだが、まさに本書の読者は、作家のもはやあやつり人形と化すだろう、としか言いようがない。

 映画『シックス・センス』などで行われる衝撃のラストでに出くわした観客は、もう一度最初からこの映画を観たくなる。ぼくの場合、その仕掛けを解説してくれるメイキング映像までたっぷりと見て、その仕掛けの深さ、凝りように、呆れ返り、匙を投げたものだった。それと同様の驚きが、本書にもしっかりとたっぷりと仕掛けられているのだ。

 仕掛けを警戒しながら読み進んでいるのに。あらゆる想定をしつつ読み進んできたのに。それでも騙される、これはもう快感としか言いようがないのである。やはりページを戻して、どこがどうだったのか確認したくなる。何が真で、何が虚なのか、見極めにくいところをチェックにかかる。

 イリュージョンのような大仕掛け小説。ヴェルーヴェン警部とその部下たちの個性にユーモラスに笑わせられながら、彼らに残虐な挑戦を仕掛ける犯人の素顔に迫る緊迫感。小説家を名乗るシリアル・キラーの断章が挿入されつつ、物語はジェットコースターのように大瀑布のような逆転の断面に滑り込んでゆく。やはり、これぞ快感、としか言いようがない。

(2016.3.11)
最終更新:2016年06月06日 22:40