標的





題名:標的 上/下
原題:Flesh And Blood (2014)
作者:パトリシア・コーンウェル Patricia Cornwell
訳者:池田真紀子
発行:講談社文庫 2015.12.21 初版
価格:各\1,250-

 何年も読んでいない時期があって、それを少しずつ読み始めて、やっと最新作に追いついた。読んでみれば、なるほど読み進むシリーズである。何年もブランクがありながら、シリーズ・レギュラーは、マリーノ、ベントン、ルーシーの三人くらいで、しかもヒロイン、ケイ・スカーペッタは、あまりにも個性的な彼らと非常に強固な運命共同体を作っているので、人間関係問題についてはこの四人の間だけがずっと続いていてわかりやすいシリーズなのだと言える。シリーズを中断したけれど、時間を置いてひさびさに手に取りたいという読者には安心のシリーズである。

 しかし検屍官シリーズも22作目を数えるそうである。年末には新作を読まないと年を越せないという読者もいるくらいの人気作品である。嘘だと思うならクリスマス前後の書棚の平積みコーナーを眺めてみるがよい。他の文庫本を圧倒する勢いで物量攻勢に出ているのが目立つことだろう。シリーズ発進の頃の勢いはけっこうなものだった。普段ミステリを読みもしない富良野のスナックの店員ですら何冊もシリーズを追いかけて読んでいた。面白い、のだそうである。事件も人間関係も。

 四人の個性を揃えたのはまずは成功だったろう。そして科学捜査という言葉に最初に唾をつけたような作品も。当時、殺人事件の死体を解剖する人、などという役回りはミステリの主役になり得なかった。しかし、現在ではどこもかしこも科学捜査流行りで、検死医や鑑識官は壇上に引き出されて大忙しである。時代は直観から科学へと確実に遷移したのだ。

 さてそうした科学に纏わる、どちらかと言えば男性的なイメージを持つハードアイテムをミステリの最前線に持ち上げた功労者の一人が間違いなくパトリシア・コーンウェルである。美人女性作家で、元警察記者で元検視局のコンピューター・アナリストという経歴を持つ彼女は、等身大のヒロイン、イタリア系のケイ・スカーペッタという美人検屍官を世に送り出した。

 その頃のシンプルなサイコと科学捜査の対決構図は、その後、ケイやベントンの所属する組織をより強力な物語のファクターとして、組織内、組織間の目まぐるしい対立構図や策謀に満ちた闇を描くことで、単純な善悪対決にとどまらぬ混沌の様相を呈してくる。ヒロイン自らが騙され、心に傷を負うエピソードや、警察組織に属する優秀な一匹狼刑事マリーノとの距離感が常に人間関係にひずみを生み出す。天才少女でFBIにも所属したことのある姪のルーシーは未だにケイの愛情故の悩みの種であり続ける。

 本書では狙撃が主題となる事件に幕を開ける。まるでスティーブン・ハンターばりの分析が見られる点で、より男性的な小説イメージが強い。さらに思いもよらぬ犯人像に、またかとシリーズを股にかけるツイストの存在に驚愕。男性的な科学捜査とハードウェアの描写が、ケイがイタリア料理を作る女性的シーンと混交して不思議な魅力を作り出す。

 微細な描写と、濃密な時間の流れ(たいていが一日か二日の事件で一作が終わる)、そして最近は、二作連続で、レギュラー陣総出演でのエンディングが用意されるあたり、作者にもずいぶん余裕が見られるようになったと、ぼくはほっとして巻を閉じることができるのである。

(2016.3.11)